安場末喜
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安場 末喜[1](やすば すえのぶ / まき、1858年6月11日(安政5年5月1日[2]) - 1930年(昭和5年)3月20日[2][3])は、日本の実業家・政治家。貴族院男爵議員[1][4]。従三位勲三等、公正会所属。
経歴
[編集]熊本県出身。熊本藩士・下津休也の五男として生まれる。1871年(明治4年)、東京に出て大学南校に学び、半年にして郷に帰り、竹崎律治郎の家塾日進学堂において和漢の書籍を学ぶ[1]。1875年(明治8年)に男爵・安場保和の婿養子となる[2][5]。
1876年(明治9年)、再び東京に出て慶應義塾に入り、1880年(明治13年)まで在塾する[1]。1885年(明治18年)、印刷局に出仕し、判任技手として製紙業に従事する[1]。1890年(明治23年)、慶應義塾特選[4]、製紙事業研究のため米国留学[1]。
その後、官を退き東肥製紙へ勤務。官営模範工場や三菱合資会社、堺セルロイドで製糸業に従事。台湾総督府製紙事業取調事務等を務める。後に台東製糖社長、台東開拓社長、大日本セメント・新竹製糖・岐阜電力の各監査役などを歴任。
養父の死去に伴い、1899年(明治32年)6月7日、男爵を襲爵[2][6]。1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7]、死去するまで在任した[3][8]。
親族
[編集]- 妻 安場トモ(養父長女)[2]
- 長男 安場保健(工学者・貴族院男爵議員。妻・輝子は田健治郎二女)
- 二男 安場保雄(海軍中将、岳父は栃内曽次郎)
- 三男 村田保定(弁護士・貴族院男爵議員)
- 四男 安場保国(山陽パルプ副社長。妻・小夜は井野英一長女[9]。子に経済学者の安場保吉)
- 娘のツキ、冨美、嘉智は、それぞれ富永敏麿(矢野二郎の甥、工学士、日本郵船重役)、清野謙次(医学博士)、平野義太郎(法学博士)に嫁ぐ。
- 義弟に後藤新平(養父安場保和の次女・かづの夫)。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『慶応義塾出身名流列伝』569 - 570頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2010年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、754頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
- ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』574頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月13日閲覧。
- ^ 安場末喜『人事興信録. 初版(明36.4刊)』
- ^ 『官報』第4779号、明治32年6月8日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
- ^ 井野英一『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』
参考文献
[編集]- 三田商業研究会編『慶応義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。
日本の爵位 | ||
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先代 安場保和 |
男爵 安場(保和)家第2代 1899年 - 1930年 |
次代 安場保健 |