安嘉門院甲斐
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安嘉門院甲斐(あんかもんいんのかい、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。「長有朝臣の妹」や葉室光俊の弟定嗣の娘「安嘉門院女房」のこととも言うが不詳[1]。
経歴
[編集]安嘉門院邦子内親王に出仕していたこと以外、伝記情報に乏しい。『続後撰和歌集』以降の勅撰集、歌合に作品を残している。
作品
[編集]歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 |
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続後撰和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 1 | 続古今和歌集 | 続拾遺和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 1 | ||
新後撰和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 2 | 玉葉和歌集 | 続千載和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 1 | ||
続後拾遺和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 1 | 風雅和歌集 | 新千載和歌集 | 安嘉門院甲斐 | 1 |
名称 | 時期 | 作者名表記 | 備考 |
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河合社歌合 | 1243年(寛元元年)11月17日 | 安嘉門院甲斐 | 藤原為綱と番い勝2負1 |
- 家集は伝存しない。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 三好優希、吉井佐織「解説『河合社歌合』とその周辺」『尾道大学日本文学論叢(2011年度まで)』[別冊]、尾道大学日本文学会、2010年12月、77-98頁、CRID 1390853647692194816、doi:10.18899/nic.bet.04、ISSN 1880215X。