宇都宮則綱
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宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、慶長2年(1597年) - 慶長14年3月21日(1609年4月25日))は、下野国の武将。宇都宮国綱の次男。母は興野隆広の娘。別名弥四郎。
略歴
[編集]則綱は、宇都宮国綱の次男で、母親は、兄の義綱とは異なり、那須の興野氏出身の側室であり庶子であった。しかも、生まれた年の慶長2年(1597年)10月13日に宇都宮氏は改易されたため、国綱からは離され、母親の実家である那須の興野(現・那須烏山市興野)に移り住んだ。この際、宇都宮家の家臣であった川上通正(あるいは川上通茂)や君島永胤などが則綱に従った。
しかし、父国綱が没した翌年、その後を追うように慶長14年(1609年)3月21日、13歳という若さで早世する。