コンテンツにスキップ

宇佐美敏夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリンピック
日本の旗 日本
男子 ホッケー
オリンピック
1932 ロサンゼルス ホッケー

宇佐美 敏夫(うさみ としお、1908年明治41年)2月22日 - 1991年平成3年)6月1日[1])は、愛知県出身[2]フィールドホッケー選手。

経歴

[編集]

1931年昭和6年)東京商科大学本科を卒業[2]

1932年ロサンゼルスオリンピックに代表選出され、出場した3チーム中2位で銀メダルを獲得した。フォワードとして2試合に出場した。

戦後、日本ホッケー協会名誉副会長、鳴海陶器会長を務めた[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引:昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、160頁。
  2. ^ a b c 『現代物故者人名辞典 1991-1993』98頁。

参考文献

[編集]
  • 日外アソシエーツ編『現代物故者人名辞典 1991-1993』日外アソシエーツ、1994年。

外部リンク

[編集]