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宅部皇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宅部皇子
続柄 宣化天皇皇子

出生 不明
死去 用明天皇2年6月8日587年7月18日
子女 上女王
父親 宣化天皇
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宅部皇子(やかべのみこ、生年不詳 - 用明天皇2年6月8日587年7月18日))は、飛鳥時代皇族宣化天皇皇子皇女に上女王がいる。

経歴

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用明天皇2年(587年)用明天皇の崩御後、物部守屋が次期天皇として穴穂部皇子を擁立しようと謀る。しかし、策謀が漏れて、炊屋姫(のち推古天皇)を奉じた蘇我馬子の命令を受けた佐伯丹経手(さえき の にふて)・土師磐村(はじ の いわむら)・的真噛(いくは の まくい)により、穴穂部皇子と前後して暗殺された。宅部皇子は穴穂部皇子と親しかったために一緒に討たれたという[1]

物部氏とも深い関係にあり、妃が物部氏の娘だったとも考えられる。

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』用明天皇2年6月8日条

参考文献

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関連項目

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