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子斑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
子斑
第17代公
王朝
在位期間 前662年
都城 曲阜
姓・諱 姫斑
生年 不詳
没年 荘公32年10月2日[1]
前662年10月6日
荘公
孟任

子斑(しはん)は、の第17代君主。名は斑。『春秋左氏伝』は名を般とする。荘公の子。

生涯

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荘公の夫人の哀姜には子がなかったので、荘公の死の直前に庶子の斑を後継に立てようとした。荘公の三弟の叔牙は、次弟の慶父を立てようとしたが、四弟の季友が斑の立嗣を支持し、荘公の名をもって叔牙に迫って毒酒を飲ませ自殺させた。

荘公32年(紀元前662年)8月、荘公が病没すると、季友が斑を魯の君主に立てた。10月、慶父が斑を殺害し、荘公の庶子の啓を魯の君主に立てた(閔公)。季友は陳国に逃亡した。

家庭

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父:

母:

  • 孟任(魯の大夫党氏の娘)

兄弟:

脚注

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  1. ^ 春秋左氏伝』荘公三十二年十月己未条による。

参考文献

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  • 韓兆琦『新訳史記読本』、台北、三民書局、2008年2月初版
  • 程發軔『春秋人譜』、台北、台湾商務印書館、1995年1月二版
  • 楊伯峻『春秋左伝注』、高雄、復文図書出版社