姫路市立東光中学校
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姫路市立東光中学校 | |
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北緯34度50分05秒 東経134度42分10秒 / 北緯34.834722度 東経134.702778度座標: 北緯34度50分05秒 東経134度42分10秒 / 北緯34.834722度 東経134.702778度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 姫路市 |
併合学校 | 御国野村立御国野中学校 |
校訓 | 正しく 強く 親しみ和す |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C128210002399 |
所在地 | 〒670-0852 |
兵庫県姫路市国府寺町80 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
姫路市立東光中学校(ひめじしりつ とうこうちゅうがっこう)は、兵庫県姫路市国府寺町にある公立中学校。
古くは姫路城の外堀に面した外京口門があり、後に教員伝習所、姫路中学校、姫路高等女学校などが置かれた地にある。
沿革
[編集]戦後の学制改革により姫路市が設置した新制中学校14校のうちのひとつである。1947年3月の姫路市新学制実施準備協議会の第1回会合では城東・東校区に設置する「第三中学校」の原案が示された。4月2日の第2回会合ではこれを「東光中学校」と改め、4月7日の第3回会合でもこの案が維持された[1]。
- 1875年(明治8年) - 教員伝習所が本徳寺からこの地に移転。後に飾磨県師範学校と附属小学校となる。
- 1875年(明治8年)~1901年(明治34年) - 姫路警察署が設置される。署は後に南町に移転。
- 1886年(明治19年)~1909年(明治42年) - 兵庫県立姫路中学校が景福寺からこの地に移転。後に城北村伊伝居に再移転。
- 1910年(明治43年)4月1日 - 兵庫県立姫路高等女学校が開校。
- 1945年(昭和20年)6月22日 - 姫路空襲で姫路高女の校舎が焼失。
- 1947年(昭和22年)5月1日 - 姫路城内にあった第10連隊旧隊舎跡を仮校舎にして開校。校名は「光は東より、黎明は東方から訪れる」という言葉にちなむ[2]。
- 1948年(昭和23年)1月26日 - 校歌制定。
- 1949年(昭和24年)4月14日 - 御国野村立御国野中学校を統合[3]。
- 1953年(昭和28年) - 現在地(姫路高女跡地)に移転。
- 1959年(昭和34年) - 講堂(体育館)完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 姫路市立御国野小学校の区域を姫路市立東中学校に分離[4]。
通学区域
[編集]以下の2小学校区。
部活動
[編集]運動部
[編集]- 野球部
- サッカー部
- 女子ソフトテニス部
- 女子バレーボール部
- バスケットボール部
- 陸上競技部
- 男子卓球部
- 剣道部
文化部
[編集]- 吹奏楽部
- 茶道部
- 美術部
周辺
[編集]- 姫路市立城東小学校
- 姫路五軒邸郵便局
- 国道372号
著名な出身者
[編集]その他
[編集]- 校章(五三の桐に「中」の文字)は全国中学校章発表会で第1位になったことがある。
- 1982年(昭和57年)、体育館の建て替え工事の発掘調査で、姫路城内(外曲輪)から東へ、西国街道(京都方面)へ出る外京口門の石垣などの遺構が発見された。遺構は体育館床下に保存されている。
- 生徒歌がある。
大塚 徹(おおつか とおる、1908年(明治41年)12月8日 - 1976年(昭和51年)12月2日)作詞。
アクセス
[編集]通学区域が隣接している学校
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 姫路市史編集専門委員会編集「姫路市史」第6巻本編近現代3 平成28年3月30日発行
- 現地説明板(外京口門跡)