姉小路信綱
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正9年(1583年)? |
別名 | 宣綱 |
官位 | 左衛門尉 |
氏族 | 姉小路氏 |
父母 | 父:姉小路頼綱、母:斎藤道三の娘 |
兄弟 | 信綱、秀綱、鍋山元綱、一宮綱広、小島基頼、三木季綱、森直綱、三木近綱、遠藤慶隆室 |
姉小路 信綱(あねこうじ のぶつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士・公家。
略歴
[編集]姉小路頼綱(自綱)の長男として誕生。
信綱の「信」の字は、織田信長からの偏諱を受けたものだとされる。
天正4年(1576年)、公家の式掌で元服式が執り行われた。頼綱は信綱の任官を京に働きかけている。
天正7年(1579年)、父が居城を桜洞城から松倉城へ移した後に、桜洞城主となった。
天正11年(1583年)、叔父である三木顕綱[1]と共に、謀反の疑いをかけられ誅殺された[2]。
人物・逸話
[編集]- 姉小路家を頼綱から継ぎ、宣綱の名に改めたと考えられており、旧古川氏の勢力圏に配されていた。
- 18歳で亡くなっているという記載がある。