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天王寺詣り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天王寺詣り(てんのうじまいり)は上方落語の演目の一つ。

笑福亭一門のお家芸の一つで、古くは4代目笑福亭松鶴が得意とした。SPレコード4代目笑福亭松鶴5代目笑福亭松鶴のものが残されている。

あらすじ

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自身の不注意から愛犬を死なせてしまった喜六、知り合いの甚兵衛に「今日は彼岸やさかいに」と言われ、犬の供養のため二人で四天王寺に行く。境内は露店が店を並べ賑わっている。境内のあちこちを見学し、引導鐘(インドガネ=境内にある鐘で、気持ちをこめてつくと死者が成仏するという)をついてもらうと、何と犬の唸り声が聞こえてきた。喜六は「坊さん! 引導鐘三遍までと聞いてんねん。三遍目、わたいに突かせておくんはなれ!」と頼み、心をこめてつくと「クワーン!」と犬の鳴き声。「ああ。無下性(ムゲッショウ=乱暴)にはどつけんもんや。」

概論

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「犬の引導鐘」という別の題もある。ストーリーは単純であるが、彼岸の四天王寺境内のにぎわいをスケッチした点に特色がある。玩具を売る者、竹駒屋、寿司屋(江戸鮨屋)、のぞき からくり阿保陀羅経読みなどを演じ分けなければならない。また、石の鳥居五重塔亀の池の紹介など名所旧跡のガイド説明の要素もあり、演者にはかなりの力量が求められる[独自研究?]

6代目笑福亭松鶴のお家芸で、5代目松鶴が臨終に際し息子の6代目に直接教えたネタと言われている[誰によって?]実際は6代目はその場にいなかったとの説もある[要出典]。)。現在[いつ?]松鶴一門の多くが演じている。

クスグリも沢山あるが、中でも秀逸なのが、経木に死者の名を書く時、「次は誰やねん。」「ヘエ、俗名笑福亭松鶴。」「・・俗名笑福亭松鶴・・・おい、これだれや。」「あんた、知りまへんかいな。あの眼のギョロっとした噺家。」「ほお。あの松鶴。かわいそうにあいつ死んだか。」「いや。まだ達者でやすねん。」「これ、そら何するんじゃいな。生きてる者の名前、経木に書いてどうすんねん。」「へえ。わたい松鶴が贔屓でっさかい書いたろと思て。」「それでは松鶴が災難や。けど、書いてしもたらしゃあない。」「日イ、いつにしときまひょ。」「まだ生きとる。」(六代目松鶴演の場合)という、演者自身の名を使う件である。「地獄八景亡者戯」の「◎◎、近日来演としたアる。」と同じパターンである。ここでは必ず大爆笑となる。

覗きからくり(昭和60年代まで四天王寺で演じられていた。)、露天商の売り声、さらに今は歌われなくなったわらべ唄「天王寺の蓮池で 亀は甲干すハゼ食べる。引導鐘ボンと突きゃ ホホラノホイ」が唄われたりするなど、貴重な民俗資料でもある。

5代目、6代目松鶴のほか、5代目桂文枝4代目桂文紅らも演じていた。大阪のローカル色豊かな演目なので東京ではあまり演じる者がいないが、かの地で上方落語を演じた2代目三遊亭百生は、サゲ(落ち)が東京の人には分からないので、阿保陀羅経を演じる演出を取り「馬鹿馬鹿しい天王寺詣りでした。」とさげていた。現在[いつ?]は「無下性・・」のサゲを東京でも行っている。

舞台になる四天王寺は、大阪市天王寺区にある聖徳太子(厩戸皇子)ゆかりの寺院で「天王寺さん」と大阪市民に親しまれている。毎年春、秋の彼岸には多くの善男善女が、祖先の戒名を書いた経木(薄い木の札)を亀の池に流し引導鐘をついて供養するために参詣する。このときは普段静かな境内は露店が出るなど大にぎわいである。上方落語には「天王寺詣り」のほかに「弱法師」「鷺とり」「戒名書き」など四天王寺を舞台とした演目がいくつかある。

関連項目

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