大阪市立豊里小学校
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大阪市立豊里小学校 | |
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大阪市立豊里小学校 | |
北緯34度44分30.4秒 東経135度32分38.6秒 / 北緯34.741778度 東経135.544056度座標: 北緯34度44分30.4秒 東経135度32分38.6秒 / 北緯34.741778度 東経135.544056度 | |
過去の名称 |
西成郡第四区二番小学校 西成郡第五学区天王寺庄小学校 西成郡天王寺庄尋常小学校 西成郡天王寺庄尋常高等小学校 西成郡豊里尋常小学校 大阪市豊里尋常小学校 大阪市豊里国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1874年7月1日 |
創立記念日 | 7月1日 |
創立者 | 西成郡豊里村(天王寺庄村) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210001286 |
所在地 | 〒533-0013 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立豊里小学校(おおさかしりつ とよさとしょうがっこう)は、大阪府大阪市東淀川区にある公立小学校。
沿革
[編集]明治時代初期の学制により、当時の西成郡天王寺庄村(町村制施行で西成郡豊里村)に1874年7月1日、西成郡第四区二番小学校(天王寺庄小学校)が開校した。天王寺庄小学校が現在の豊里小学校の起源となっている。
学校名はしばらく天王寺庄小学校を名乗っていたが、1918年に豊里尋常小学校に改称した。
1950年代後半以降、地域に市営住宅などが建設されるなど宅地化し、それに伴い児童数も増加傾向をたどった。ピーク時には2000人を越える大規模校となっていたが、1980年代に大阪市立豊里南小学校・大阪市立大道南小学校を分離している。
年表
[編集]- 1874年(明治7年)7月1日 - 西成郡第四区二番小学校として創立。
- 1884年(明治17年)4月1日 - 西成郡第五学区天王寺庄小学校に改称。
- 1893年(明治26年)5月15日 - 西成郡天王寺庄尋常小学校に改称。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 高等科を併設、西成郡天王寺庄尋常高等小学校に改称。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 高等科を廃止、西成郡豊里尋常小学校に改称。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 豊里村が大阪市に編入したことに伴い、大阪市豊里尋常小学校に改称。
- 1933年(昭和8年)2月22日 - 学校火災により校舎焼失。
- 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風に伴う強風により校舎が倒壊[1]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、大阪市豊里国民学校に改称。
- 1945年(昭和20年)5月1日 - 大阪府豊能郡吉川村(現・豊能町)へ集団疎開。
- 1945年(昭和20年)6月7日 - 空襲により校舎全焼。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、大阪市立豊里小学校に改称。
- 1957年(昭和32年)7月28日 - 現在地に移転。
- 1964年(昭和39年)10月18日 - 校旗制定。
- 1965年(昭和40年)2月20日 - 校歌制定。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 大阪府より、「花と緑の推進校」に指定される。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 校区の一部を、新設の大阪市立豊新小学校校区へ分離。
- 1984年(昭和59年)9月3日 - 分校を設置。3年・5年の児童を収容する学年分校とする。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 分校が大阪市立豊里南小学校として分離開校。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 大阪市立大道南小学校を分離。
- 1988年(平成元年)10月20日 - 「花いっぱいコンクール」で優良賞を受賞。
通学区域
[編集]- 大阪市東淀川区 豊里1・6・7丁目の全域。
- 大阪市東淀川区 豊里2丁目(一部を除く)。
- 大阪市東淀川区 豊里4・5丁目のそれぞれ一部。
- 卒業生は大阪市立東淀中学校に進学する。
出身者
[編集]交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p230 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)