大野村 (岡山県英田郡)
表示
おおのそん 大野村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年3月25日 |
廃止理由 |
新設合併 大原町(初代)、大野村、大吉村、讃甘村 → 大原町(2代) |
現在の自治体 | 美作市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 英田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 18.9 km2 |
総人口 |
2,146人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
英田郡大原町、作東町、大吉村、讃甘村 勝田郡梶並村 |
大野村役場 | |
所在地 |
岡山県英田郡大野村大字川上 |
座標 | 北緯35度05分56秒 東経134度17分48秒 / 北緯35.09878度 東経134.29656度座標: 北緯35度05分56秒 東経134度17分48秒 / 北緯35.09878度 東経134.29656度 |
ウィキプロジェクト |
大野村(おおのそん)は、岡山県英田郡にあった村。1900年3月31日までは吉野郡に属した。
概要
[編集]現在の美作市桂坪・川上・笹岡・滝・野形に当たる。
往古は笹岡村が英多郡讃甘郷に属し、それ以外は同郡大野郷に属した。その後荘園が発達するとそれぞれ讃甘荘、大野荘(大野保)と呼ばれるようになった[2]。
村名は大野郷・大野荘から命名された。大野の名は天平3年に藤原広嗣および下道真備と僧正・玄昉が筑紫で謀叛を起こし、大野東人がこれを平定し、その功労としてこの地が大野氏に与えられたことに因んだと伝えられる[2]。
沿革
[編集]- 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度が発足し、吉野郡第七部戸長役場を川上村に設置し同村および桂坪村・滝村・野形村を管轄。笹岡村は第六部戸長役場(下庄村、後の讃甘村)の管轄となる[2][3]。
- 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行に伴い、吉野郡桂坪村・川上村・笹岡村・滝村・野形村が合併し、大野村が発足。役場を川上に設置[4]。
- 1893年(明治26年) - 川上の川上小学校を大野尋常小学校と改称[5]。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 吉野郡が英田郡と合併し、英田郡となる。
- 1909年(明治42年) - 大野尋常小学校が高等科を併置し、大野尋常高等小学校となる[5]。
- 1917年(大正6年) - 当村から大原村、讃甘村、大吉村に通じる道路改修が完了[4]。
- 1922年(大正11年) - 大野郵便局を川上に開設[5]。
- 1954年(昭和29年)3月25日 - 英田郡大原町(初代)・大吉村・讃甘村と合併して新たに大原町(2代)が発足。
当時の主要施設
[編集]地名の読み方
[編集]- 桂坪(かつらつぼ)
- 川上(かわかみ)
- 笹岡(ささおか)
- 滝(たき)
- 野形(のがた)
現在の様子
[編集]郵便番号
[編集]- 707-0421 美作市川上
- 707-0422 美作市笹岡
- 707-0423 (美作市小原田)→讃甘村
- 707-0424 美作市野形
- 707-0425 (美作市下庄町)→讃甘村
- 707-0426 美作市桂坪
- 707-0427 美作市滝
教育
[編集]旧村内に現在教育機関なし
交通
[編集]鉄道
[編集]旧村内を走る鉄道およびその駅なし
道路
[編集]高速道路
[編集]旧村内を走る高速道路なし
国道
[編集]県道
[編集]- 主要地方道
旧村内を走る主要地方道なし
- 一般県道
河川・山岳
[編集]河川
[編集]- 大滝川
- 大屋川
- 川上川
- 真船川
山岳
[編集]- 滝山
寺院・神社
[編集]寺院
[編集]- 霊山寺
神社
[編集]- 大野神社
参考文献
[編集]- 和泉橋警察署 『新旧対照市町村一覧』第2冊(東京 : 加藤孫次郎、1889(明22))
- 地名編纂委員会 『角川日本地名大辞典33 岡山県』(角川学芸出版、1989、ISBN 4040013301)
脚注
[編集]- ^ 1/50000佐用 明治30年測図・昭和7年要部修正測図(Stanford Digital Repository)
- ^ a b c 岡山県市町村合併誌 市町村編 1046・1047頁(岡山県、1960)
- ^ 岡山県市町村合併誌 総編 76頁(岡山県、1960)
- ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「大野村(近代)」
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 岡山県「川上(近代)」
関連項目
[編集]- 岡山県の廃止市町村一覧
- 新免一五坊 - 正岡子規の門人で、大野村川上の出身。