コンテンツにスキップ

大谷温泉 (富山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大谷温泉
温泉情報
所在地 富山県魚津市大海寺新[1]
座標 北緯36度47分56.3秒 東経137度26分41.1秒 / 北緯36.798972度 東経137.444750度 / 36.798972; 137.444750座標: 北緯36度47分56.3秒 東経137度26分41.1秒 / 北緯36.798972度 東経137.444750度 / 36.798972; 137.444750
交通 鉄道 : あいの風とやま鉄道魚津駅よりタクシーで約15分
泉質 塩化物泉硫黄泉
泉温(摂氏 13 °C
液性の分類 弱アルカリ性
宿泊施設数 0
テンプレートを表示

大谷温泉(おおたにおんせん)は、富山県魚津市大海寺新にかつて存在した温泉。『大谷鉱泉』とも呼ばれていた[2]

概要

[編集]

古くから、火傷、切り傷の名湯として地元の人たちに利用されていた。「昔は火傷をすると大谷の湯へとんで行け・・・」と地元の人たちに伝えられていて、医者もこの湯を紹介するくらいという名湯であった。宿でも「一日4回くらい入るのが最良の入浴法」と言っていたが、年配の人などは1日に5、6回も入浴していたという。飲用として一升瓶やポリタンクに詰めて持ち帰る人も多かった[1]

泉質

[編集]
  • 弱食塩泉[3]
    • 源泉温度13℃(一軒宿の2kmほど奥からの引湯で、浴用に加熱していた)[1]

源泉は旅館の東1.5㎞、大谷山の谷間から湧出している[4]

効能

[編集]
  • リウマチ、外傷、アトピー・湿疹、皮膚病など。
  • 飲用としては火傷の痛み止めに効果があった[1]

※いずれも効能はその効果を万人に保証するものではない

歴史

[編集]

天武天皇の時代に一人の農民が誤って傷つけたシロヘビが、近くの田の中から湧き出ている水で傷口を癒したのを発見し、開湯したと伝えられている。日親上人による創設の説もあるが、定かではない[4]

1870年明治3年)に再開湯[3]1960年昭和35年)頃の火災の後、現在の場所に移転。1982年(昭和57年)、木造部分の玄関などを改装した(これにより部屋数は少なくなる)[4][1]2013年平成25年)に廃業したものの、建物は現存している。

温泉街

[編集]

前述の通り、一軒宿の「大谷温泉旅館」のみが存在していた。

大谷温泉スキー場

[編集]

大谷温泉の付近にかつてあったスキー場1958年に開場[5]。面積は20,000m2で、簡易ジャンプ台も完備されていた[6]。ロープリフトが2本設置されていて、1982年末には魚津ジュニアスキーレーシングチームのコーチ、父母らが協力してナイター設備(1kwの水銀灯4基と500wの投光器2基)が設置された[7]。魚津市街地の近くに位置するため、多くの家族連れでにぎわったが、平成になって利用客が減少し、閉鎖となった。

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『全国温泉大事典』(1997年12月18日、旅行読売出版社発行)463ページ。
  2. ^ 『写真アルバム 新川の昭和』(2012年9月9日、いき出版発行)165ページ
  3. ^ a b 『不思議おどろき発見・魚津』14ページより。
  4. ^ a b c 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社出版部発行)231 - 232ページ。
  5. ^ 『広報うおづ』平成8年2月号(No.603)、16頁『シリーズ11 うおづの風土記 開木山』より。
  6. ^ 『魚津市史 史料編』(1982年3月25日、魚津市役所発行)870頁。
  7. ^ 『北日本新聞』1983年1月14日付朝刊16面『夜間照明つきスキー場造成 国体、五輪選手育成へ 魚津レーシングチーム コーチ、父母ら協力』より。

関連項目

[編集]
  • 天神山温泉 - 同じ市内にかつて存在した温泉宿。現在は閉鎖されていながら建物が現存している点で共通している。