大谷吟右衛門
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大谷 吟右衛門(おおたに ぎんえもん、1872年11月4日(明治5年10月4日[1][2]) - 1928年(昭和3年)3月26日[2])は、明治から大正時代の実業家、銀行家。
経歴
[編集]大谷秋蔵の長男として飾磨県佐用郡平福村(兵庫県佐用郡平福町を経て現佐用町平福)に生まれ[3]、1901年(明治34年)3月に家督を相続する[1]。1899年(明治32年)東京帝国大学法科を卒業し、大阪商船に入社し、釜山支店長を経て運輸助役となる[3]。1902年(明治35年)兵庫県農工銀行支配人となり、1910年(明治43年)専務取締役に就任[3]。1917年(大正6年)には同行頭取となった[2]。ほか、神戸信託、神栄、播美鉄道各監査役のほか[1]、神戸瓦斯、ベルベット石鹸などの役員も務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 清田伊平 編『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。