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大谷仁兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおたに にへい

大谷 仁兵衛
生誕 栗田 捨吉
慶応元年8月3日1865年9月22日
大日本帝国の旗 大日本帝国近江高島郡椋川村
(現・滋賀県高島市今津町椋川)
死没 1956年昭和31年)10月21日
日本の旗 日本
住居 大日本帝国の旗 大日本帝国日本の旗 日本
国籍 大日本帝国の旗 大日本帝国日本の旗 日本
職業 実業家
活動期間 1880年 - 1956年
時代 明治時代前期 - 昭和時代中期
雇用者 大谷屋
団体 日本タイプライター
帝國地方行政學會
活動拠点 大日本帝国の旗 大日本帝国日本の旗 日本
肩書き 日本タイプライター創業者
帝國地方行政學會(現・ぎょうせい)創業者
父:栗田 長五郎
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大谷 仁兵衛(おおたに にへい、慶応元年8月3日1865年9月22日) - 1956年昭和31年)10月21日)は、明治から昭和期にかけて日本出版業界を代表する実業家。日本タイプライターの創業者。

生涯

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慶応元年8月3日(1865年9月22日)近江高島郡椋川村(現・滋賀県高島市今津町椋川[1])に栗田長五郎の3男として生まれ、幼名を捨吉と言った。1880年(明治13年)、京都の出版書店『大谷屋』に奉公し精励していたところ、1893年(明治26年)才覚と人物を認められ大谷家に入籍し、名を大谷仁兵衛と改めた[2]。『十八史略摘註』などの歴史書、『日本旅行独案内』・『亰都名所案内』などの旅行書から詩集・工芸書・『歴世女装考』などのファッション誌と仁兵衛が出版・編集を行った書籍は多岐に及ぶ。

1902年(明治35年)には経営不振に陥っていた『帝国地方行政学会』(現・株式会社ぎょうせい)を継承し、同社で日本初の加除式法規集を発案し『法規全書』を出版した。その後『内外出版会』・『東西医学社』・『帝国法規出版』 などを創立[2]。また印刷技師であった杉本京太資金支援を行い和文タイプライターが開発されると、翌年特許を取得の上、1917年(大正6年)5月自ら社長となり資本金30万円で東京市京橋区(現・東京都中央区京橋)に日本タイプライター株式会社(1985年(昭和60年)キヤノンが資本参加。現・キヤノンセミコンダクターエクィップメント株式会社)を設立した[3]

1922年(大正11年)郷里の三谷小学校椋川分校のために土地鉄筋コンクリート作りの校舎・その他付帯する設備全てを寄付した。1956年(昭和31年)10月21日死去した[2]

関連事項

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太田仁兵衛に係る書籍
  • 「滋賀の先覚教育的人間像」 P148「大谷仁兵衛」の項」(滋賀県小学校長会 1968年)
  • 「近江の先覚 第2集」 P153「大谷仁兵衛」の項(滋賀縣教育会 1997年)
  • 「近代日本経済人大系 第6巻(製作工業篇 上)」 P439「日本タイプライター株式会社 1日本タイプライターの特色、2日本タイプラライターの発展過程、3初代社長大谷仁兵衛氏」の項(松下伝吉 日本図書センター 2003年)
  • 「日本の創業者 近現代起業家人名事典」 P 98「大谷仁兵衛」の項(日外アソシエーツ株式会社編 2010年)

脚注

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  1. ^ 山村農業体験施設が完成 高島市内最大級の茅葺き民家改修 [リンク切れ] - 京都新聞 2020年(令和2年)10月23日閲覧。
  2. ^ a b c 「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会編 大和書房 1984年(昭和59年))
  3. ^ 「近代日本経済人大系 第6巻(製作工業篇 上)」 P439「日本タイプライター株式会社 初代社長大谷仁兵衛氏」の項(松下伝吉 日本図書センター 2003年(平成15年))