コンテンツにスキップ

大矢田神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大矢田神社

拝殿、本殿(重要文化財
所在地 岐阜県美濃市大矢田2596
位置 北緯35度33分20.9秒 東経136度52分6.15秒 / 北緯35.555806度 東経136.8683750度 / 35.555806; 136.8683750 (大矢田神社)
主祭神 建速須佐之男命、天若日子命
社格 郷社・金幣社
創建 伝・孝霊天皇時代
本殿の様式 三間社流造
例祭 10月第3土曜日・翌日曜日
主な神事 ひんここ祭り(10月第3土曜日の翌日曜日、ひんここの舞」は11月第4日曜日)
テンプレートを表示
楼門

大矢田神社(おやだじんじゃ)は、岐阜県美濃市にある神社である。旧社格郷社

本殿は江戸時代初期の1672年寛文12年)、拝殿は1671年(寛文11年)再建であり、ともに重要文化財に指定されている[1]。また、楼門1723年享保8年)再建であり、美濃市指定文化財である[2]

祭神

[編集]

歴史

[編集]
  • 創建は孝霊天皇の時代という。以下は社伝による。

深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた。

  • 716年養老2年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基。天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される。
  • 禅定寺は7坊を有したが、1556年弘治2年)に戦火で焼失。その後、極楽坊と常泉坊の2坊のみ再興された。
  • 1870年明治3年)、神仏分離廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称して極楽坊の社僧・真清氏が神官となる。
護摩堂・鐘楼観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された。このため神社の中に仏教式の門が残っている。

大矢田もみじ谷

[編集]
  • 大矢田神社一帯の楓谷は、約3000本のヤマモミジの原生林があり、樹齢1000年以上の古木もある。1930年(昭和5年)、指定名称楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されている[3]。また2004年(平成16年)飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに指定されている。
  • 毎年11月下旬が見ごろであるという。

大矢田神社のひんここまつり

[編集]

文化財

[編集]
  • 本殿 - 寛文12年(国指定重要文化財)
  • 拝殿 - 寛文11年(国指定重要文化財)
  • 楓谷ヤマモミジ樹林(90.3a)(国指定天然記念物)
  • 絹本著色釈迦十六善神図 - 室町時代(岐阜県指定重要文化財)[4]
  • 梵鐘(禅定寺)- 明応3年(岐阜県指定重要文化財)
  • 梵鐘(青柳社)- 大永3年(岐阜県指定重要文化財)
  • 楼門(旧仁王門)- 享保8年(美濃市指定文化財)
  • 阿弥陀如来坐像 - 室町時代(美濃市指定文化財)
  • 弘法大師坐像 - 室町時代(美濃市指定文化財)
  • 大般若写経 - 室町時代(美濃市指定文化財)
  • 兜-室町時代(美濃市指定文化財)
  • 大矢田のヒンココ(国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)

所在地・アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 大矢田神社附棟札”. 岐阜県. 2013年4月19日閲覧。
  2. ^ 大矢田神社 楼門”. 美濃市 (2008年11月10日). 2013年4月19日閲覧。
  3. ^ 楓谷のヤマモミジ樹林”. 岐阜県. 2013年4月19日閲覧。
  4. ^ 絹本著色釈迦十六善神図”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。

外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、大矢田神社に関するカテゴリがあります。