大田原光清
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永5年5月1日(1776年6月16日) |
死没 | 文政4年1月25日(1821年2月27日) |
改名 | 孝丸(幼名)、光清 |
別名 | 応之助(通称) |
諡号 | 石庵 |
戒名 | 円徳院殿大光清鑑大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国大田原藩主 |
氏族 | 大田原氏 |
父母 | 父:大田原庸清、母:松平長孝の娘 |
兄弟 | 光清、愛清、清徳 |
妻 |
婚約者:岡部長備の娘 正室:浅野長員の娘 |
子 | 養子:大田原愛清 |
大田原 光清(おおたわら みつきよ)は、下野大田原藩の第10代藩主。
安永5年(1776年)5月1日、第9代藩主・大田原庸清の長男として生まれる。幼少の頃から和歌を好むなど、文才があったといわれる。享和2年(1802年)、父の死去により家督を継いだ。
文化9年(1812年)11月22日、弟で養子の愛清に家督を譲って隠居する。文政4年(1821年)1月25日、江戸藩邸で死去した。享年46。
系譜
[編集]父母
婚約者
- 岡部長備の娘
正室
- 窈 ー 浅野長員の娘
養子
- 大田原愛清 ー 実弟