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大沢基朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大沢基朝
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年(1718年
死没 寛政3年6月18日1791年7月18日
官位 従四位下侍従丹波守
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川吉宗家重
氏族 大沢氏持明院家庶流
父母 父:大沢基隆
兄弟 基朝近藤英用
直太郎、定寧
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大沢 基朝 (おおさわ もととも)は、江戸時代中期の高家旗本遠江国堀江領主。官位従四位下侍従丹波守

生涯

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大沢基隆の子として誕生した。

父の没後の享保15年(1730年)10月5日、寄合に列し8代将軍・徳川吉宗に拝謁した。元文元年12月16日(1737年)、奥高家見習となって、従五位下・侍従兼丹波守に叙任、元文4年(1740年)4月22日、奥高家に列する。寛保元年(1741年)、従四位下に昇進。寛保3年(1743年)7月11日、故あり職を免ぜられ、寄合となったが、9月17日許され再び出仕する。宝暦2年(1752年)4月9日、次男(嫡男)の定寧に家督を譲り隠居した。

寛政3年(1791年)6月18日、死去。享年74。火付盗賊改方藤懸永直の罷免の原因となった。

系譜

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先代
大沢基隆
高家大沢家6代当主
1730年 - 1753年
次代
大沢定寧