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大川城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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大川城
愛知県
別名 大河城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 熊谷武蔵守
築城年 1556年弘治2年)
主な城主 額田麻生氏
竹内九藤平
廃城年 不明
遺構 削平地
墓地
指定文化財 なし
位置 北緯34度58分00.1秒 東経137度17分07.3秒 / 北緯34.966694度 東経137.285361度 / 34.966694; 137.285361 (大川城)座標: 北緯34度58分00.1秒 東経137度17分07.3秒 / 北緯34.966694度 東経137.285361度 / 34.966694; 137.285361 (大川城)[1]
地図
大川城の位置(愛知県内)
大川城
大川城
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大川城(おおかわじょう)は、愛知県岡崎市大高味町にあった日本の城[1]

概要

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「大河城」とも書かれる[2][3][4]。地元では「大川城」と表記されることが多い[5]。城主は熊谷武蔵守の家臣竹内九藤平[2][3]。また、額田麻生氏とも書かれている[6]。遺構は削平地と墓地が残されている[6]

歴史

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1556年弘治2年)における日近合戦の戦場のひとつとされており、松平軍の本陣が置かれたとする説もある[7]。城主の竹内九藤平はこの合戦で命を落とし[4]、城はそのまま廃城となった。

脚注

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  1. ^ a b 日本城郭大系 第九巻』新人物往来社、1979年6月、P320によれば所在地は「額田郡額田町大字中伊」。現在の岡崎市中伊町または中伊西町にあたる。一方で、『三河国額田郡誌』額田郡、1924、294頁には、所在地は「形埜村大字大高味」とあり、>市政だより おかざき 2009年(平成21年)8月1日{{{1}}} (PDF) 、P13も「大高味町」とする。
  2. ^ a b 『日本城郭大系 第九巻』新人物往来社、1979年6月、P320に「大河城」として記載。
  3. ^ a b 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989、P260
  4. ^ a b 『三河国額田郡誌』額田郡、1924、294頁
  5. ^ 『額田町史』額田町教育委員会1986年11月1日、P146では大川城として記載。
  6. ^ a b 『新編岡崎市史額田資料編Ⅰ』、p331。
  7. ^ 市政だより おかざき 2009年(平成21年)8月1日{{{1}}} (PDF) 、P13、2012年7月23日閲覧。

関連項目

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