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大崎隆雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大崎 隆雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 (1942-04-24) 1942年4月24日(82歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1961年4月8日
最終出場 1965年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大崎 隆雄(おおさき たかお、1942年4月24日 - )は、京都府京都市[1]出身の元プロ野球選手

経歴

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平安高校では、坂本昭三郎投手との二本柱で1960年の甲子園に春夏連続出場。春の選抜は1回戦で静岡高を降し、2回戦で初先発を果たすが、山口富士雄のいた高松商に敗退。高松商はこの大会で優勝する[2]夏の甲子園府予選準決勝で東山高を相手に延長10回ノーヒットノーランを達成。夏の選手権では1回戦で金沢市工に完封勝利。2回戦はリリーフに回り、鹿島高宮崎昭二投手と投げ合うが、自らの暴投で9回裏サヨナラ負けを喫する[3]。1年下のチームメートに林健造がいた。

1961年大洋ホエールズへ入団[1]。同年の開幕戦となった4月8日広島カープ戦では、7-7の同点となった8回から4番手として登板。3回を無失点で抑え、10回にチームがサヨナラ勝ちしたため、大崎は史上6人目となる新人投手開幕戦勝利を記録した[4]。この年は24試合に先発し、2完封を含む4勝を挙げたが、敗戦も二桁となる10敗を記録した。

1963年は3完封を記録するも、勝利はこの完封した3勝のみに留まった。同年6月15日の広島戦では先発として登板も、1回に先頭打者の大和田明をカウント1-3から歩かせた5球だけで、三原脩監督に交代を命じられ降板している[5]

1965年近鉄バファローズへ移籍し、同年限りで引退した。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1961 大洋 52 24 3 2 0 4 10 -- -- .286 672 156.1 128 7 86 3 7 93 7 1 60 52 2.98 1.37
1962 6 2 0 0 0 0 0 -- -- .000 35 6.0 13 0 5 0 0 3 0 0 6 6 9.00 3.00
1963 32 15 3 3 0 3 7 -- -- .300 336 79.0 69 4 48 1 1 53 4 0 31 24 2.73 1.48
1964 9 3 0 0 0 1 1 -- -- .500 106 25.0 26 4 7 0 0 11 1 0 11 10 3.60 1.32
1965 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 8 1.0 4 0 1 0 0 0 0 0 4 3 27.00 5.00
通算:5年 100 44 6 5 0 8 18 -- -- .308 1157 267.1 240 15 147 4 8 160 12 1 112 95 3.20 1.45

背番号

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  • 19 (1961年 - 1964年)
  • 27 (1965年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、100ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会五十年史」 朝日新聞社編 1968年
  4. ^ [1]
  5. ^ プロ野球記録大鑑(1993年、講談社)、777ページ

関連項目

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外部リンク

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