大島新一
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大島 新一 おおしま しんいち | |
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生年月日 | 1899年10月1日 |
出生地 | 日本石川県鳳至郡櫛比村字門前(現:輪島市門前町門前) |
没年月日 | 1979年9月25日(79歳没) |
出身校 | 櫛比尋常高等小学校高等科 |
前職 | 司法書士 |
所属政党 |
(立憲民政党→) (翼賛政治体制協議会→) (日本進歩党→) (無所属→) (国民民主党→) (改進党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
選挙区 | 鳳至郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1931年9月24日 - 1947年2月28日[1] |
第4-5代 旧門前町長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1941年6月1日 - 1946年2月25日 |
選挙区 | 第6選挙区(旧門前町) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1955年4月30日 - 1959年4月29日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1925年5月 - 1933年 |
大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10月1日 - 1979年(昭和54年)9月25日[2])は日本の政治家。石川県会議員(3期)
来歴
[編集]1899年10月鳳至郡櫛比村に生まれた。1914年3月櫛比尋常高等小学校高等科を卒業後、1915年1月輪島区裁判所門前出張所所属になり、1919年1月金沢地方裁判所所属の司法書士となった。 1925年5月櫛比村会議員選挙に当選。1931年9月立憲民政党に属して石川県会議員選挙に当選、1935年再選され参事会員に選任されていた。1941年11月には副議長となった。副議長には1946年までつとめ県会議員としては1947年までその任にあたった。 この間、1941年6月より門前町長として町政をとり1942年10月からは門前花業会長でもあった。また、民政党石川県支部幹事長でもあった。1947年2月、公職追放。 1955年3月には町村合併後の新門前町の町議会議員に当選し1期つとめた。 その後、財団法人石川県自動車協会会長・株式会社青木製作所取締役・自由民主党石川県支部連合会顧問などの職にあった。
註釈
[編集]参考文献
[編集]- 『石川県議会史 第2巻』1968年
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 ? |
石川県会副議長 ?代:1941年 - 1947年 |
次代 ? |
公職 | ||
先代 山本増太郎 |
旧門前町長 第4-5代:1941年 - 1946年 |
次代 星野力蔵 |