大岩村 (鳥取県)
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おおいわそん 大岩村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村 → 岩美町 |
現在の自治体 | 岩美町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.52 km2 |
総人口 |
3,172人 ([1]、1953年) |
隣接自治体 | 浦富町、本庄村、網代村、田後村、福部村 |
大岩村役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡大岩村大字大谷312-2 |
座標 | 北緯35度34分36秒 東経134度18分13秒 / 北緯35.57672度 東経134.30358度座標: 北緯35度34分36秒 東経134度18分13秒 / 北緯35.57672度 東経134.30358度 |
ウィキプロジェクト |
大岩村(おおいわそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは岩井郡に属した。
概要
[編集]現在の岩美町大谷・岩本に相当する。蒲生川下流域に位置し、西は日本海に面した。
村名は大谷と岩本から漢字1文字ずつ取った合成地名である[1][2]。
藩政時代には鳥取藩領の岩井郡大谷保(おおたにのほ)に属する大谷村・岩本村があった[3]。
古くから港としての地の利が認識され、万治元年(1658年)には岩井郡の貢納米を納める藩倉が岩本に置かれ、1873年(明治6年)まで存続した。天保14年(1843年)には船手番所がここに移され、海上の取り締まりに当たった[1]。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年)5月22日 - 岩本村の一部が分村して網代村となる[4]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)- 本庄村(後の本庄村大字本庄)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、大谷村と岩本村が合併して村制施行し、大岩村が発足。旧村名を継承した2大字を編成。役場を大谷村に設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡大岩村となる。
- 1914年(大正3年)11月1日 - 「大岩村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「大岩村大字○○」と呼ぶことになる[5]。
- 1929年(昭和4年)9月6日 - 役場位置を大字大谷311番ノ1に変更[6]。
- 1945年(昭和20年)4月30日 - 役場位置を大字大谷312番地2に変更[7][注 1]。
- 1950年(昭和25年)1月1日 - 大岩駅開業。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、網代村と合併して岩美町が発足。同日大岩村廃止[8]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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奥田周蔵 | (1890年 - 1892年) | [9][10] | |
大西文三 | (1893年 - 1894年) | [9][11] | |
田中伝六 | (1895年 - 1897年) | [12] | |
田中伝六 | 1898年(明治31年)5月5日 | 1903年(明治36年)2月1日 | |
田中伝六 | 1903年(明治36年)2月2日 | 1903年(明治36年)3月31日 | |
石河貞次郎 | 1903年(明治36年)4月11日 | 1907年(明治40年)4月10日 | |
石河和太郎 | 1907年(明治40年)4月19日 | 1911年(明治44年)4月18日 | |
石河和太郎 | 1911年(明治44年)5月3日 | 1915年(大正4年)5月2日 | |
石河和太郎 | 1915年(大正4年)5月2日 | 1916年(大正5年)6月3日 | |
大西熟実 | 1916年(大正5年)6月17日 | 1920年(大正9年)7月16日 | |
橋浦昌雄 | 1920年(大正9年)6月26日 | 1924年(大正13年)6月25日 | |
橋浦昌雄 | 1924年(大正13年)6月26日 | 1926年(大正15年)8月13日 | |
西村和太郎 | 1926年(大正15年)8月15日 | 1930年(昭和5年)8月13日 | |
西村和太郎 | 1930年(昭和5年)8月16日 | 1934年(昭和9年)8月15日 | |
大西清人 | 1934年(昭和9年)10月6日 | 1938年(昭和13年)10月5日 | |
大西清人 | 1938年(昭和13年)10月6日 | 1942年(昭和17年)10月5日 | |
大西清人 | 1942年(昭和17年)10月6日 | 1943年(昭和18年)12月29日 | |
山根平太 | 1944年(昭和19年)1月19日 | 1946年(昭和21年)5月15日 | |
石河大直 | 1946年(昭和21年)5月15日 | 1947年(昭和22年)4月4日 | |
石河大直 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
石河大直 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1954年(昭和29年)6月30日 | 合併後岩美町長に就任 |
参考文献 - [1](1898年以降) |
教育
[編集]- 大岩村立大岩小学校(現在は統合により岩美町立岩美西小学校となる)
- 大岩村網代村学校組合立東因中学校(現在は統合により岩美町立岩美中学校となる)
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]主要施設
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 岩美町誌(岩美町教育委員会、1968年)
- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「大谷保(近世)」
- ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)829頁(鳥取県、1969年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村役場位置」『官報』1929年9月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村役場位置」『官報』1945年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第266号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2518号』1954年5月28日(鳥取県立公文書館)
- ^ a b 市町村治績録 改訂第2版(日本自治協会、1930年)
- ^ 職員録 明治23年(乙)、職員録 明治24年(乙)、職員録 明治25年(乙)
- ^ 職員録 明治26年(乙)、職員録 明治27年(乙)
- ^ 職員録 明治28年(乙)、職員録 明治29年(乙)、職員録 明治30年(乙)
- ^ 「鳥取県告示第217号・県道の路線の廃止(鳥取浜坂香住線)」『鳥取県広報 第4326号』1972年3月24日(鳥取県立公文書館)
注釈
[編集]- ^ 官報の記載は「大字312番地2」だが鳥取県統計年鑑(昭和22年 - 28年)で役場所在地が大谷となっており、「大字大谷」の誤り