大和心 (ボクサー)
基本情報 | |
---|---|
本名 | 大和 心 |
階級 | スーパーバンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1975年7月9日(49歳) |
出身地 | 神奈川県横須賀市 |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 24 |
勝ち | 16 |
KO勝ち | 4 |
敗け | 4 |
引き分け | 4 |
大和 心(やまと しん、1975年7月9日 - )は、日本のボクシングトレーナー、元プロボクサー。神奈川県横須賀市出身[1]。第57代日本バンタム級王者、第24代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。帝拳所属。横浜高等学校卒業。
人物
[編集]横浜高校時代の同級生に、東芝野球部の平馬淳、阪神タイガースの高橋光信、総合格闘家の宇野薫がいる。保住直孝はボクシング部の1年先輩で、お笑いコンビ瞬間メタルのタケタリーノ山口はボクシング部の同期である。川口力哉とは現役時代から親友にあたる。
現在は帝拳ジムでトレーナーをしている。
来歴
[編集]元プロボクサーの実父の影響で小学5年から横須賀ボクシングジムに通う。1993年全日本高校フライ級6位。関東大会優勝。
高校の6年先輩葛西裕一に憧れ、葛西の属する帝拳から1994年6月スーパーフライ級でプロデビュー。東日本新人王準決勝で協栄ジムの佐藤晃に判定負けを喫した。1995年B級ボクサー賞金トーナメントでバンタム級優勝、1996年A級ボクサー賞金トーナメントバンタム級で優勝する。
1998年1月27日、松島二郎を破り日本バンタム級王座を獲得した(2度防衛後返上)。1999年1月東洋太平洋バンタム級チャンピオンジェス・マーカにダウンを奪われ判定負けした。
桑田勇から鈴木啓正に担任トレーナーが変更された後に2000年2月19日、東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得し、WBC世界スーパーバンタム級10位にランクされたが、同年6月17日初防衛に失敗し10月同王座再挑戦で返り咲きもならず2001年に現役を引退した。
引退後は一時期オスカープロモーションに所属してタレント活動をしていた[1]。2001年には日本テレビ系列のバラエティ番組『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的アンコールワットへの道の舗装」にスタート時から参加しゴールを果たした。2002年からはテレビ朝日のバラエティ番組『藤岡弘、探検シリーズ』にてレギュラー出演した。2003年公開の映画『阿修羅のごとく』など複数の映画にも出演した[2]。
2006年より帝拳ボクシングジムでトレーナーを務め、初めて担当した山中慎介を世界タイトルに導いた他[3]、松田直樹、尾川堅一[4]、辻昌建[5]らを指導。2009年11月7日、自身の第一子が誕生した日に松田が日本タイトル3度目の防衛を成功させた[6]。
戦績
[編集]- アマチュアボクシング:36戦31勝(9KO・RSC)5敗
- プロボクシング:24戦16勝(4KO)4敗4分
脚注
[編集]- ^ a b 大和 心 Facebook
- ^ 大和心の映画作品 MOVIE WALKER PRESS
- ^ “異色の新米トレーナー・大和氏と「二人三脚で一緒に成長」”. スポーツニッポン. (2012年4月7日) 2012年4月7日閲覧。
- ^ “帝拳尾川が有言実行MVP”. 日刊スポーツ (2011年12月19日). 2012年1月11日閲覧。
- ^ “山中、6連続KO勝ちで王座奪取!…日本バンタム級タイトルマッチ”. スポーツ報知. (2010年6月21日). オリジナルの2010年8月11日時点におけるアーカイブ。 2012年4月7日閲覧。
- ^ “松田がV3トレーナーに贈る”. 日刊スポーツ (2009年11月8日). 2012年1月11日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 松島二郎 |
第57代日本バンタム級王者 1998年1月27日 - 1998年11月20日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 西岡利晃 |
空位 前タイトル保持者 石井広三 |
第24代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者 2000年2月19日 - 2000年6月17日 |
次王者 趙龍仁 |