大分県立大分東高等学校
表示
大分県立大分東高等学校 | |
---|---|
北緯33度13分15.013秒 東経131度44分40.682秒 / 北緯33.22083694度 東経131.74463389度座標: 北緯33度13分15.013秒 東経131度44分40.682秒 / 北緯33.22083694度 東経131.74463389度 | |
過去の名称 |
坂ノ市町他五ヶ村組合立北部実業補習学校 郡立北海部実業学校 大分県坂ノ市高等実業女学校 坂ノ市高等女学校 大分県立臼杵高等学校第五部 大分県立臼杵高等学校坂ノ市校舎 大分県立東豊高等学校坂ノ市校舎 大分県立東豊高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
校訓 | 自律・努力・友愛 |
設立年月日 | 1920年(大正9年)1月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 園芸ビジネス科 園芸デザイン科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000086 |
高校コード | 44123G |
所在地 | 〒870-0313 |
大分県大分市大字屋山2009番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立大分東高等学校(おおいたけんりつ おおいたひがしこうとうがっこう、英称:Oita Prefectural Oita Higashi High School)は、大分県大分市大字屋山にある県立の高等学校である。
概要
[編集]1920年(大正9年)に開校した「坂ノ市町他五ヶ村組合立北部実業補習学校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立90周年をむかえた[1]。
校章
[編集]学問を表す3本のペン先と海の波の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置いている。
校歌
[編集]作詞は浜崎義雄、作曲は前田順子による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大分東高校」が登場する[2]。
設置学科
[編集]設置学科一覧
[編集]- 全日制課程 3学科
- 普通科
- 園芸ビジネス科 - 2013年度(平成25年度)新設。大分市内初の農業系学科。
- 園芸デザイン科 - 2013年度(平成25年度)新設。大分市内初の農業系学科。
過去の設置学科
[編集]- 国際コミュニケーション科 - 1995年(平成7年)4月に、大分県の県立普通科高校としては初めて設置された専門学科。2011年度(平成23年度)から募集を停止し[3]、2013年(平成25年)4月1日に廃止された[1]。
各学科の詳細
[編集]農業系学科
[編集]- 設置の背景
- 2008年(平成20年)8月27日に大分県教育委員会が策定した2010 - 2014年度の後期高校再編計画の検討素案においては、大分県内に農業系学科を均等に配置するために、本校に農業系学科を新設することが提案され[4]、同年8月27日に正式に設置が決定された。
- 学科及び学習内容
- 園芸ビジネス科及び園芸デザイン科各1クラスが設置される。園芸ビジネス科では、施設を利用した野菜栽培や、その加工品の製造・販売の学習が行われ、園芸デザイン科では、施設を利用した花き栽培、植物のバイオテクノロジーや、花きを用いた装飾、植栽デザインの学習が行われる予定[5]。
- 進路
- 進学先としては、宮崎大学や佐賀大学などの農業系大学、短期大学、農業大学校、専門学校等が想定されている。また、就職先としては、農業法人、食品産業、ガーデニング資材流通業、製造業等が想定されている[5]。
国際コミュニケーション科(2013年4月1日廃止)
[編集]- 学習内容
- 1年時から英語によるプレゼンテーションの授業を行っていた[6]。
- 2年生より「第2外国語」として韓国語、中国語、ドイツ語、フランス語の授業があった[6]。また、2年時には、イギリスでのホームステイや語学研修を行っていた[7]。
- 廃止
- 2008年(平成20年)8月27日に大分県教育委員会が策定した2010 - 2015年度の後期高校再編計画において、国際コミュニケーション科を廃止して農業系学科を設置することが決定された[8]。この計画では、2013年度(平成25年度)から募集停止する予定とされていたが、実際には2011年度(平成23年度)から募集が停止されている[3]。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)1月10日 - 「坂ノ市町他五ヶ村組合立北部実業補習学校」が開設される。
- その後、「北部実業補習学校」、「郡立北海部実業学校」、「大分県坂ノ市高等実業女学校」、「坂ノ市高等女学校」と改称を重ねる[9]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により「大分県立臼杵高等学校第五部」となる。
- その後、「大分県立臼杵高等学校坂ノ市校舎」に改称。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 大分県立臼杵高等学校から分離の上、大分県立鶴崎高等学校と統合。坂ノ市・鶴崎の2校舎制をとり、本校は「大分県立東豊高等学校坂ノ市校舎」となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 「大分県立東豊高等学校」として独立。鶴崎校舎は再び大分県立鶴崎高等学校として独立。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 「大分県立大分東高等学校」(現校名)に改称。
- 1979年(昭和54年)4月 - 現在地に校舎新築、全面移転。
- 1985年(昭和60年)4月 - 大分市内普通科4校(大分上野丘・大分舞鶴・大分鶴崎・大分東)での合同選抜を開始。
- 1990年(平成2年)4月 - 大分市内普通科2校(大分鶴崎・大分東)での合同選抜を開始。
- 1995年(平成7年)4月 - 大分市内普通科単独選抜開始。国際コミュニケーション科を設置。
- 2013年(平成25年)3月 - 国際コミュニケーション科を廃止。
- 2013年(平成25年)4月 - 園芸ビジネス科及び園芸デザイン科を設置。
教育方針
[編集]校訓
[編集]自立・努力・友愛[10]
進路
[編集]2014年度の進路は、私立四年制大学9名、国公立短期大学4名、私立短期大学12名である[11]。
学校行事
[編集]文化祭・体育祭
[編集]文化祭、体育祭を合わせて「東輝祭(とうきさい)」と呼び、例年9月後半に、文化祭2日間、体育祭1日間の計3日間開催[12]。
部活動・生徒会活動
[編集]体育部
[編集]- ハンドボール部(女子) - 女子は1976年に全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会で優勝している[13]。
- ソフトボール部(男女)
- 硬式野球部 - 1995年には全国高等学校野球選手権大分大会で決勝進出を果たすが、延長で敗れ甲子園出場を逃した[14]。
- ソフトテニス部(男女)
- 弓道部(男女)
- 卓球部(男女)
- バスケットボール部(男子)
- バレーボール部(男子)[15]
文化部
[編集]同好会
[編集]著名な出身者
[編集]交通
[編集]周辺
[編集]施設
[編集]- 大分市立小佐井小学校
- 大分市立坂ノ市中学校
- TOTO大分工場・TOTO体育館
- 旭化成大分工場
道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 沿革 大分県立大分東高等学校
- ^ 校歌 大分県立大分東高等学校
- ^ a b 平成23年度公立高等学校入学定員 (PDF) 大分県教育委員会
- ^ 県教委 後期高校再編素案を発表 - 大分合同新聞「oita-press」2008年(平成10年)1月10日の記事を参照。
- ^ a b 新設農業科のリーフレットが出来上がりました。 大分県立大分東高等学校、2012年6月4日
- ^ a b 平成23年度 教師海外研修アドバンスコース 報告書 (PDF) 独立行政法人国際協力機構 九州国際センター
- ^ 国際コミュニケーション科2年生の海外研修結団式 大分県立大分東高等学校
- ^ 高校改革推進計画 後期再編整備計画 [平成22~27年度] ~特色・魅力・活力ある学校づくりに向けて~ (PDF) 大分県教育委員会、2008年8月27日
- ^ 会則・組織 - 大分県立大分東高等学校同窓会ウェブサイト
- ^ 校長あいさつ 大分県立大分東高等学校
- ^ 最近の進路状況〔H27.4〕 大分県立大分東高等学校
- ^ 平成25年度 東輝祭開催! 大分県立大分東高等学校
- ^ ハンドボール NO.145 1976年9月 (PDF) 日本ハンドボール協会
- ^ 大分大会の歩み|夢・甲子園!2016 大分朝日放送
- ^ a b c d 進路ガイドブック 学校案内2017 (PDF) 大分県立大分東高等学校
- ^ スタッフ 新日鐵住金鹿島硬式野球部後援会
- ^ 路線図 大分東地区1 大分バス