コンテンツにスキップ

大久寺 (小田原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大久寺だいきゅうじ
本堂
本堂 地図
所在地 神奈川県小田原市城山4-24-7
位置 北緯35度14分44.68秒 東経139度8分54.08秒 / 北緯35.2457444度 東経139.1483556度 / 35.2457444; 139.1483556座標: 北緯35度14分44.68秒 東経139度8分54.08秒 / 北緯35.2457444度 東経139.1483556度 / 35.2457444; 139.1483556
山号 寳聚山
院号 随心院
宗派 日蓮宗
創建年 天正19年(1591年
開山 自得院日英
開基 大久保忠世
文化財 大久保一族の墓所(小田原市指定史跡)
法人番号 7021005005686 ウィキデータを編集
大久寺の位置(神奈川県内)
大久寺
大久寺
大久寺 (神奈川県)
テンプレートを表示
大久寺山門

大久寺(だいきゅうじ)は、神奈川県小田原市にある日蓮宗寺院

歴史

[編集]

1591年天正19年)、小田原城城主大久保忠世の開基である。忠世は前年まで二俣城の城主であり、二俣から自得院日英を開山として招いて寺を創建した[1][2]

ところが忠世の子の忠隣の代になり、幕府内の権力闘争に敗れ改易となった。石川忠総(忠世の次男)は、当寺を江戸下谷に移転した。この下谷大久寺は、後に現在の東京都北区田端に移転している[1][3]

一方、小田原の旧寺院跡地は、忠世を始めとする初期大久保家の墓を残して荒れ果てていた。大久保一族の大久保康任は、このありさまを見かねて、新たに「大久寺」を再興することになった[1]。結果として「大久寺」を称する寺が東京と小田原に二つ存在することになった。また忠世系大久保氏は後に小田原藩藩主に返り咲いている。

文化財

[編集]
  • 大久保一族の墓所(小田原市指定史跡 昭和39年5月27日指定)[4]

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 寳聚山大久寺日蓮宗「日蓮宗ポータルサイト」
  2. ^ 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年、202-203p
  3. ^ 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年、55-56p
  4. ^ 大久保一族の墓所小田原市

参考文献

[編集]
  • 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年
  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年