大久保教尚
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大久保 教尚(おおくぼ のりたか、1894年(明治27年)6月3日[1] - 1959年(昭和34年)11月26日[1][2])は、大正から昭和期の宮内官、教育者、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]子爵・大久保教正の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1900年(明治33年)9月24日、子爵を襲爵した[1][4][5]。
1921年(大正10年)東京帝国大学経済学部、1923年(大正12年)同大法学部をそれぞれ卒業し、さらに同大大学院で社会法学を研究した[2][3]。
1925年(大正14年)宮内省に入省し宮内属に任官[2]。宗秩寮勤務、式部官などを務めて1933年(昭和8年)に退官した[2][3]。その後、東京商工学校講師、東京農業大学講師、日本西班牙協会理事、東京日本洪牙利協会理事などを務めた[2][3]。
1942年(昭和17年)2月7日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 大久保教正 |
子爵 (荻野山中)大久保家第2代 1900年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |