大久保不二
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大久保 不二(おおくぼ ふじ、1852年11月14日(嘉永5年10月3日[1][2])- 1924年(大正13年)10月9日[1][2][3])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。号・瑟菅村[1]。
経歴
[編集]常陸国筑波郡高道祖村[1](新治県筑波郡高道祖村、茨城県[3]筑波郡高道祖村[4]を経て現下妻市高道祖)で生まれた。鈴木竹湾に師事し[1]漢学を修めた[2][3][4]。のち上京して益盛舎を設立して、史学、地理検田、測地、製図の学科を設け教育に当たった[1]。
戸長、区長、郡書記を歴任[2][3][4]。1878年(明治11年)下妻に政治結社・絹水社(のち同舟社に改称)を設けて自由民権運動を推進した[1][2]。1882年(明治15年)茨城県会議員に選出され1890年(明治23年)まで在任[1]。1898年(明治31年)県会議員に再選され1903年(明治36年)まで務めた[1]。この間、同常置委員、同参事会員などにも在任[1][3][4]。同年3月、第8回衆議院議員総選挙(茨城県郡部、無所属)で当選し[5]、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙(茨城県郡部、無所属)では落選し[5]、交友倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3]。
実業界では石炭採掘業を営む[2][3]。丸水商会を設立して社長に就任し、茨城県農工銀行監査役なども務めた[2][3][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 第1巻』茨城県議会、1962年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。