大丸遺跡 (横浜市)
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座標: 北緯35度25分45.1秒 東経139度34分35.9秒 / 北緯35.429194度 東経139.576639度
大丸遺跡(だいまるいせき)は、かつて横浜市南区六ツ川3丁目(かつての南区六ツ川町大丸)にあった縄文時代の遺跡。現在はほぼ消滅し、石碑のみが立っている。
概要
[編集]大丸遺跡は、南区六ツ川地区にある標高82メートルの台地の上に広がっていた。広さは50メートル×30メートル。台地の鞍部から北東斜面にかけて、土器や石器を含んだ土層が広がる遺跡だった。
太平洋戦争終結後から1960年代始め頃(昭和30年代)にかけて、縄文時代とその文化の開始期を求める研究風潮がおこり、縄文時代でも古い時期に位置付けられる「撚糸文系土器」が出る大丸遺跡が注目された。1951年(昭和26年)11月から1952年(昭和27年)1月にかけて、明治大学考古学研究会が発掘調査した[1]。その結果、遺跡は年代順に3つの土層に区分でき、上層からは無文土器を伴う稲荷台式土器、中層からは夏島式土器、下層からは井草式土器が出土した。下層からは井草式とは違う尖底土器(底部の尖った形態の土器、縄文時代でも古い時期に作られた)も出土し「大丸式土器」と命名され、明治大学博物館に収蔵された[2]。
現在、遺跡は団地に造成されてしまったが、近くの坂道は「大丸縄文坂」と通称され、記念碑と解説板が建てられている[3]。
脚注
[編集]- ^ 横浜市埋蔵文化財センター 2007, p. 3.
- ^ 横浜市埋蔵文化財センター 2007, p. 4.
- ^ “THE YOKOHAMA STANDARD”. THE YOKOHAMA STANDARD. 2019年12月20日閲覧。
参考図書
[編集]- 横浜市埋蔵文化財センター(編)「よこはまの遺跡・大丸遺跡」『埋文よこはま』第15号、横浜市ふるさと歴史財団、2002年2月20日。