多田勉吉
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多田 勉吉(ただ べんきち、1889年(明治22年)9月19日[1] - 1958年(昭和33年)4月16日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。広島県出身。
経歴
[編集]1889年(明治22年)9月19日、広島県で生まれる。旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を経て[2]、1913年5月、陸軍経理学校を優等で卒業[3]。航空本廠第二課長、第4師団経理部長を歴任[4]。第12軍経理部長として日中戦争に参加[1]、太平洋戦争中は第2方面軍経理部長、第3方面軍経理部長を務めた[1]。1945年(昭和20年)3月1日、陸軍主計中将に昇進した[1][4]。1958年(昭和33年)4月16日逝去。