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多治神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多治神社

境内
所在地 京都府南丹市日吉町田原宮後2-2
位置 北緯35度11分58.42秒 東経135度31分12.06秒 / 北緯35.1995611度 東経135.5200167度 / 35.1995611; 135.5200167 (多治神社)
主祭神 大山咋神
天太玉命
社格 式内社(小)
郷社
創建 (伝)慶雲年間(704年-707年
本殿の様式 二間社流造檜皮葺
例祭 10月中旬の日曜日
主な神事 田原の御田5月3日
田原のカッコスリ(10月中旬)
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多治神社(たじじんじゃ)は、京都府南丹市日吉町にある神社式内社で、旧社格郷社

祭神

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主祭神は以下の2柱。

歴史

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社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704年-707年)、天智天皇第3皇子[1]・田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされる。

平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国船井郡 多沼神社(たひち・たぬ・たぬま-)」と記載され、式内社に列している。

鎮座地の集落名が「田原(たはら)郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302年)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、「多沼」と称した時期もあったものと推測されている[2]

明治10年、近代社格制度において郷社に列した。

境内

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摂末社

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境内社
  • 稲荷神社
  • 天満宮
  • 八幡宮
  • 市杵社

主な祭事

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鎌倉時代後期の徳治2年(1306年)、豊作祈願の神事として始まった[3]
  • 田原のカッコスリ (10月中旬)
室町時代初期の応永21年(1414年)、豊作感謝の神事として始まった。古くは10月15日に行われた[4]

文化財

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「京都府内の文化財」(京都府教育庁文化財保護課)参照

重要無形民俗文化財(国指定)

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  • 田原の御田 - 2000年(平成12年)指定

京都府指定無形民俗文化財

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  • 田原のカッコスリ - 1983年(昭和58年)指定

京都府登録文化財

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  • 本殿(附 棟札5札) - 1985年(昭和60年)登録

京都府文化財環境保全地区

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  • 多治神社文化財環境保全地区 - 1985年(昭和60年)決定

南丹市指定文化財

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  • 神輿2基
江戸時代後期の弘化2年(1845年)、京の大工・吉野家甚之丞による製作。1987年(昭和62年)指定

現地情報

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所在地
交通アクセス
周辺
  • 小多治神社 (南丹市日吉町田原) - カッコスリ時に小多治神社前でカッコスリが奉納される[5]
  • 多治神社 (南丹市日吉町生畑) - 当社から勧請

脚注

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  1. ^ 類聚三代格』による。『続日本紀』霊亀2年8月11日条では第7皇子とする。
  2. ^ 『京都府の地名』船井郡多治神社項。
  3. ^ 田原の御田(南丹生活~南丹市総合ガイド)、田原の御田口丹波の社)参照。
  4. ^ 田原のかっこすり(南丹生活~南丹市総合ガイド)、カッコスリ(口丹波の社)参照。
  5. ^ 小多治神社丹波の神社)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社)船井郡 多治神社項
  • 現地案内板

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 多治神社」『京都府史蹟勝地調査會報告 第三冊』京都府、1922年。  - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。