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多忠龍

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多忠龍の写真

多 忠龍(おお の ただたつ、1865年4月10日元治2年3月15日) - 1944年昭和19年)12月22日)は、雅楽家、帝国芸術院会員。

京都出身。古代以来の宮廷雅楽家の家に生まれる。父は右近衛将曹・多忠廉(1847-1916)。1872年(明治5年)宮内省一等出仕、1888年(明治21年)楽手伶人1902年(明治35年)雅楽師ならびに楽師(クラリネット演奏)。1921年(大正10年)宮内省楽部楽長。1924年(大正13年)辞任。1937年(昭和12年)帝国芸術院会員。1942年(昭和17年)著書『雅楽』刊行。

長男の重守(1894年生)は滋賀重列の養子となる[1]

出典

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  1. ^ 滋賀重列『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]