壱岐市立箱崎小学校
表示
壱岐市立箱崎小学校 | |
---|---|
北緯33度49分36.1秒 東経129度44分26.4秒 / 北緯33.826694度 東経129.740667度座標: 北緯33度49分36.1秒 東経129度44分26.4秒 / 北緯33.826694度 東経129.740667度 | |
過去の名称 |
第五学区第四中学区箱崎小学校 箱崎学区公立中等流水小学校 可須学区公立中等流水小学校 尋常箱崎小学校 簡易箱崎小学校 尋常箱崎小学校(再) 箱崎尋常小学校 箱崎尋常高等小学校 箱崎村箱崎国民学校 箱崎村立箱崎小学校 芦辺町立箱崎小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002437 |
所在地 | 〒811-5465 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
壱岐市立箱崎小学校(いきしりつ はこざきしょうがっこう、Iki City Hakozaki Elementary School)は長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触にある公立小学校。略称は「箱崎小」(はこざきしょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五学区第四中学区箱崎小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135年を迎えた。
- 校歌
- 作詞は長谷川信、作曲は永井幸次によるもの。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。
- 校区
- 郵便番号が811-54で始まり、住所の芦辺町の後に「箱崎」が入る地区。中学校区は壱岐市立芦辺中学校[1]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年) - 本村触字辻庄屋家屋を校舎に「第五学区第四中学区箱崎小学校」が開校。
- 1875年(明治8年) - 新城[2]村(現・壱岐市勝本町新城地区)に新城分舎を設置。金蔵寺を仮校舎とする。
- 1876年(明治9年) - 瀬戸浦永光寺を校舎に瀬戸分校(現・壱岐市立瀬戸小学校)が開校。
- 1877年(明治10年) - 箱崎小学校の校舎が完成。
- 1883年(明治16年) - 「箱崎学区公立中等流水小学校」に改称。
- 1884年(明治17年) - 新城分舎を新城分校に改称。
- 1885年(明治18年) - 「可須[3]学区公立中等流水小学校」と改称。
- 1886年(明治19年) - 「尋常箱崎小学校」に改称。新城分校を廃止。瀬戸分校が分離し、下等瀬戸小学校として独立。
- 1887年(明治20年) - 「簡易箱崎小学校」に改称。(瀬戸小学校が廃止される。)
- 1891年(明治24年) - 再び「尋常箱崎小学校」となる。
- 1892年(明治25年) - 「箱崎尋常小学校」に改称。
- 1893年(明治26年) - 再び瀬戸分校を設置。
- 1901年(明治34年) - 再び瀬戸分校が分離し、「瀬戸尋常小学校」として独立。
- 1902年(明治35年) - 釘ノ尾触天井田に校舎を新築し、移転。補習科を設置。
- 1908年(明治41年) - 高等科を併置し、「箱崎尋常高等小学校」に改称。
- 1910年(明治43年) - 校地を拡張し、校舎を増築。
- 1913年(大正2年) - 実業補習学校を併置。
- 1926年(大正15年) - 運動場を拡張。
- 1933年(昭和8年) - 南校舎を新築。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、「箱崎村箱崎国民学校」と改称。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革(六・三制実施)により、「箱崎村立箱崎小学校」に改称。
- 1955年(昭和30年) - 箱崎小学校の1教室を使用し、保育所を開設。
- 1956年(昭和31年)
- 1960年(昭和35年) - 補食給食を開始。
- 1963年(昭和38年) から 1964年(昭和39年) - 鉄筋新校舎が完成。
- 1973年(昭和48年) - プールが完成。創立100周年を迎える。
- 1977年(昭和52年) - 完全給食を開始。箱崎幼稚園が2年保育を開始。
- 2004年(平成16年)3月 - 市町村合併で壱岐市が誕生したことにより、「壱岐市立箱崎小学校」(現在名)と改称。
- 2011年(平成23年)9月 - 壱岐市学校給食センターが勝本町亀石地区に完成したことにより、旧芦辺町地区の各校独自調理方式から、センターからの配送方式に変更。
アクセス
[編集]- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 壱岐市立箱崎幼稚園
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト
- 「芦辺町史」(1978年〈昭和53年〉3月1日発行、芦辺町史編集委員会)p.771 - 第7章 教育史