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塩村克己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塩村克己
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市北区
生年月日 (1969-01-05) 1969年1月5日(55歳)
身長 160cm(騎手引退時)
体重 48kg(騎手引退時)
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東小林稔(1987 - 1993)
栗東・フリー(1993 - 2001)
栗東・田中章博(2001 - 2002)
初免許年 1987年
騎手引退日 2002年2月28日
重賞勝利 8勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 天皇賞(秋)(1994年)
通算勝利 3454戦289勝[注 1]
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塩村 克己(しおむら かつみ、1969年1月5日 - )は、大阪府大阪市北区出身の元騎手・現調教助手

来歴

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競馬とは無縁なサラリーマン家庭の長男として生まれ、従兄が馬術の名門杉谷乗馬クラブに勤務していた関係もあり、小学6年時から同クラブで乗馬を始めた[1]。中学2年次の頃に小柄であったことにより周囲から騎手になることを勧められ、中学卒業後にJRA競馬学校騎手課程第3期生として入学した[1]。同期には蛯名正義芹沢純一武豊らがいる[注 2]

1987年に騎手免許を取得し、栗東小林稔厩舎からデビュー。3月7日中京第2競走アラブ4歳以上300万下・ベナーホリデイ(14頭中8着)で初騎乗を果たし、同22日の中京第12競走4歳以上400万下・ヤマノブルタスで初勝利を挙げた。1年目の同年は、同期で新人最多勝利記録を更新した武豊(69勝)に次ぐ33勝を挙げ、若手のホープに数えられた。

2年目の1988年にも初年度を上回る35勝を挙げていたが、12月11日愛知杯でハギノトップガンに騎乗した際に転倒し落馬。左複雑骨折する重傷を負った[2]が、約10ヶ月の療養を経て、3年目の1989年には無事に復帰。年末の阪神牝馬特別を9番人気のルイジアナピット[注 3]で制し、重賞初勝利を挙げた。

1990年以降は20勝前後の成績が続き、1993年に小林厩舎を離れてフリーに転身。フリーとなったきっかけは、ファンであった歌手・吉川晃司の17枚目のシングル曲「KISSに撃たれて眠りたい」の歌詞に触発されたからであり[3]、コンサートにもしばしば赴き、それが縁となって吉川本人とも知り合った[4]

本業の方はフリー転身をきっかけとして騎乗依頼が減少したが、この様子を見た布施正厩舎からネーハイシーザーの騎乗を依頼される[5]。以後は同馬とのコンビで、同年の中日スポーツ賞4歳ステークスのレコード勝ちを始めとして、1994年には大阪杯京阪杯(コースレコード)・毎日王冠(日本レコード)と次々に重賞を勝利。10月30日天皇賞(秋)ではビワハヤヒデウイニングチケットに次ぐ3番人気に支持され、セキテイリュウオーに1馬身半差を付けて優勝、人馬共に唯一GI制覇を果たした。この年は自己最高の41勝を挙げた。

1995年マイラーズカップではオープンでなかなか勝てなかったビッグショウリで、イナズマタカオーエルウェーウィンフジノマッケンオーら重賞勝ち馬を抑えて勝利。同馬を重賞初制覇に導くと、その後は芝・ダートを問わず短距離戦線で活躍。秋はダートの東京盃で残り100mで内から猛追し、ゴール前まで馬体を併せての追い比べ[6]を続けて中央勢最先着の2着、芝に戻ったスワンステークスではトップハンデ58kgでヒシアケボノノーブルグラスの3着と健闘。1996年は第1回プロキオンステークスナムラコクオーの2着、1997年阪急杯シンコウフォレストの2着に入った。同馬以外ではチアズサイレンスで1996年の名古屋優駿を制するが、これが最後の重賞制覇となった。

1999年からは1桁の勝利数が続き、2001年には田中章博厩舎所属となるが、同年2月11日京都第12競走4歳以上900万下・ゴールドメーカーが最後の勝利となった。9月16日阪神第3競走3歳未勝利・フロムザハート(16頭中7着)が最後の騎乗となり、2002年2月28日付で現役を引退。

引退後は引き続き同厩舎にて調教助手として所属していたが、田中の死去による厩舎解散で2016年からは音無秀孝厩舎に移籍し、現在に至る。

通算成績

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区分 1着 2着 3着 4着以下 出走数 勝率 連対率
1987年 平地 33 30 26 181 270 .122 .233
1988年 平地 35 47 22 249 353 .099 .232
1989年 平地 9 5 4 56 74 .122 .189
1990年 平地 21 20 22 211 274 .077 .150
1991年 平地 17 21 22 148 208 .082 .183
1992年 平地 23 13 12 129 177 .130 .203
1993年 平地 22 18 14 253 307 .072 .130
1994年 平地 41 42 47 324 454 .094 .191
1995年 平地 24 30 29 326 409 .059 .132
1996年 平地 29 21 33 250 333 .087 .150
1997年 平地 12 14 8 191 225 .053 .116
1998年 平地 15 12 13 149 189 .079 .143
1999年 平地 1 5 3 69 78 .013 .077
2000年 平地 6 9 5 79 99 .061 .152
2001年 平地 1 1 1 21 24 .042 .083
2002年 平地 0 0 0 0 0 .000 .000
平地 289 288 261 2616 3454 .084 .153

主な騎乗馬

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※括弧内は塩村騎乗時の優勝重賞競走。
太字はGI競走、斜体地方交流競走

  • ルイジアナピット(1989年阪神牝馬特別)
  • ネーハイシーザー(1993年中日スポーツ賞4歳ステークス、1994年大阪杯・京阪杯・毎日王冠・天皇賞 (秋)
  • ビッグショウリ(1995年マイラーズカップ)
  • チアズサイレンス(1996年名古屋優駿
その他

脚注・出典

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  1. ^ 数字は中央のみ。
  2. ^ 芹沢はデビュー1年遅れ。
  3. ^ 2008年のエリザベス女王杯を制したリトルアマポーラの祖母。
  1. ^ a b 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982、pp.172-173
  2. ^ 木村(1998)p.174
  3. ^ 木村(1998)p.175
  4. ^ 藤田伸二『番長の話』(宝島社、2010年)ISBN 978-4796679213「殿堂入りのあの男がまたも炸裂!」pp.118-123
  5. ^ 木村(1998)pp.175-176
  6. ^ web Furlong 2017【REWIND 90's】第49回 1995年 東京盃

関連項目

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