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塗山氏女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塗山氏女(とざんしのむすめ)は、の妃で、の母。名は女嬌[1]、女趫[2]、女憍[3]ともいう。

塗山氏の長女[4]として生まれた。塗山は寿春の東北にあった国という[5]。禹はの日に塗山氏をめとったが、4日後のの日には黄河治水のために家を出てしまい、帰ってこなくなった。啓が生まれても、禹は子育てに協力しようとしなかった[6]。塗山氏はひとりで家の留守を預かり、啓を教育した[4]

695年証聖元年)、武則天により塗山氏は玉京太后と追号された[7]

脚注

[編集]
  1. ^ 史記索隠』夏本紀所引『系本
  2. ^ 漢書』古今人表
  3. ^ 大戴礼記』帝繋
  4. ^ a b 列女伝』母儀伝
  5. ^ 『史記索隠』夏本紀
  6. ^ 史記』夏本紀
  7. ^ 『旧唐書』礼儀志三