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堤為量

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
堤 為量
時代 江戸時代
生誕 1690年7月2日元禄3年5月26日
死没 1754年3月21日宝暦4年2月28日
別名 兼丸
官位 従五位上、左京権大夫
主君 東山天皇中御門天皇桜町天皇桃園天皇
氏族 堤家
父母 父:堤為任
堤晴長
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堤 為量(つつみ ためかず、1690年7月2日元禄3年5月26日) - 1754年3月21日宝暦4年2月28日))は、江戸時代公家初嶋大神宮神主堤家4代目当主。

生涯[編集]

右衛門佐・堤為任の子として生まれる。ただし町尻兼量の子ともいわれており諸説ある。幼名は兼丸。1703年1月6日元禄16年11月19日)に叙爵を受けて従五位上となる[1][2]

しかし1708年12月31日宝永5年11月20日)に官位を返上し、摂津国尼崎(現在の兵庫県尼崎市)の初嶋大神宮の神主となる[1]

1754年3月21日宝暦4年2月28日)、死去[1]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』
  2. ^ 1983年『弁官補任』
  3. ^ 町尻兼量の子ともいわれる。