堀越叡
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堀越 叡 | |
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生誕 |
1932年10月23日 日本 東京 |
死没 | 2009年10月16日(76歳没) |
居住 | 日本 |
研究分野 | 鉱床学 |
研究機関 | 同和鉱業、九州大学、東京大学、富山大学 |
出身校 | 東京大学 |
プロジェクト:人物伝 |
堀越 叡(ほりこし えい、1932年10月23日 - 2009年10月16日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京都出身。父は地質調査所などで活躍した鉱床地質学者の堀越義一である。
経歴・業績
[編集]1956年、東京大学理学部地学科卒業。指導教官渡辺武男教授の薫陶を受け、1958年、東京大学大学院修士課程修了。四国の佐々連鉱山を初めとする含銅硫化鉄鉱鉱床(キースラーガー鉱床)の研究を行った。
1958年 - 1964年、同和鉱業に就職し、秋田県北鹿地域の黒鉱鉱床の胚胎層準について調査する。その結果、黒鉱鉱床はキースラーガー鉱床などと同じく、周囲の岩石(母岩)の堆積時に、海底面上で形成された同成鉱床であることを立証した[1]。
1964年、九州大学工学部、1972年、東京大学理学部を経て[2]、1978年に富山大学理学部教授[3]となり、地殻進化学講座を担当した。1998年退官。この間、1967年 - 1969年には、ドイツ・ノルウェーに留学し、火山性塊状硫化物鉱床の研究を行う。当時ヨーロッパに重くかぶさっていたキースラーガー鉱床の後成説を打破する論文と発言で、世界の鉱床学界に与えた影響は大きかった。
地向斜論が盛んであった日本の地質学界の中で、早くからプレートテクトニクス理論の重要性に気付き、学会の若手を先導したことでも知られる[4][2]。 1993年資源地質学会の加藤武夫賞を受賞。没後に、資源地質学会は彼の業績をたたえるため、2012年発行の Resource Geology, No. 4 を、堀越叡追悼特集号とした。
著書
[編集]- 堀越叡『地殻進化学』東京大学出版会、2010年。ISBN 978-4-13-060747-6。
脚注
[編集]- ^ Horikoshi, E. 「Volcanic activity related to the formation of the Kuroko-type deposits in the Kosaka district, Japan」、『Mineralium Deposita』第4巻、1969年、321-345頁。
- ^ a b 佐藤壮郎「富山大学名誉教授堀越叡博士のご逝去を悼む」『資源地質』第60巻第1号、資源地質学会、2010年、54-55頁、ISSN 0918-2454。
- ^ “堀越 叡(30037791)”. KAKEN - 科学研究費補助金データベース. 国立情報学研究所. 2012年3月26日閲覧。
- ^ 日本地質学会. “地学教育・普及・関連行事”. 2012年3月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 泊次郎『プレートテクトニクスの拒絶と受容 : 戦後日本の地球科学史』東京大学出版会、2008年。ISBN 978-4-13-060307-2。
- 「追悼 堀越叡博士のご逝去を悼む」『資源地質』第60巻第1号、資源地質学会、2010年、54-55頁、ISSN 0918-2454、NAID 40016989403。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 宮城磯治. “nkysdb: 堀越 叡”. なかよし論文データベース. 産業技術総合研究所. 2012年3月27日閲覧。
- nkysdb: HORIKOSHI Ei(なかよし論文データベース)
- 堀越叡追悼号