堀沢周安
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堀沢 周安 ほりさわ ちかやす | |
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基本情報 | |
出生名 | 堀澤 周安 |
別名 | 鹿峡(号)[1] |
生誕 |
1869年2月18日 (旧暦:明治2年1月8日) |
出身地 | 日本 尾張国丹羽郡善師野村(現:愛知県犬山市) |
死没 | 1941年4月14日(72歳没) |
学歴 | 東京国語伝習所 卒業 |
ジャンル | 市町村歌、校歌、唱歌 |
職業 | 作詞家、旧制中学校教員 |
活動期間 | 明治 - 昭和時代戦前 |
堀沢 周安(ほりさわ ちかやす、1869年2月18日 - 1941年4月14日)は日本の作詞家、教育者。名前は「しゅうあん」と音読される場合もある。号は鹿峡(ろくきょう)[1]。
経歴
[編集]明治2年1月8日(西暦1869年2月18日)、尾張国丹羽郡善師野村(現在の愛知県犬山市)に生まれる[2]。犬山城下稲置村の丹羽葉栗第一番高等小学校を卒業した後、尋常小学校の教員手伝いを経て1891年(明治24年)に上京、東京国語伝習所(大成高等学校の前身校)で上田萬年に師事して国文学を学んだ[2]。
卒業後は長野県や北海道、香川県、愛媛県で旧制中学校や高等女学校の教員を務め、特に香川・愛媛の両県で校歌や市町村歌を多数作詞した[2]。旧制三豊中学校(現在の香川県立観音寺第一高等学校)の校長職に在った1921年(大正10年)、大阪市が3代目市庁舎落成を記念して公募した「大阪市歌」で応募作が一等入選する[3]。
1941年(昭和16年)4月14日、香川県仲多度郡善通寺町(現在の善通寺市)の自宅で死去。享年73(満72歳没)[1]。かつて旧制大洲中学校(現在の愛媛県立大洲高等学校)教員として在職していた縁で、大洲市冨士山に文部省唱歌「田舎の四季」の歌碑が建てられている[2]。
作品
[編集]→「Category:堀沢周安が制作した楽曲」も参照
自治体歌
[編集]校歌
[編集]- 高松第一高等学校校歌(作曲:船橋栄吉)
- 香川県立坂出商業高等学校校歌(作曲:室崎琴月)
- 愛媛県立大洲高等学校(作曲:鈴木重太郎)
- 丸亀市立城北小学校校歌(作曲:佐野覚三郎)
- 香川県立盲学校校歌(作曲:小比賀虎雄)
- 札幌大谷中学校・高等学校校歌(作曲:福井直秋)
- 名古屋市立旗屋小学校校歌(作曲:永井幸次)
- 扶桑町立山名小学校校歌(作曲:井上武士)
- 高松市立塩江小学校校歌(作曲:末沢信夫)
- 高松市立亀阜小学校校歌(作曲:鈴木武五郎)
- 善通寺市立中央小学校校歌(作曲:陸軍戸山学校)
- 旧制丸亀中学校校歌「日嗣の皇子」(作曲:若狭万次郎)
- 旧制丸亀高等女学校校歌「讃岐の富士の」(作曲:若狭万次郎)
- 旧制立三豊中学校校歌(作曲:若狭萬次郎)
参考文献
[編集]- 丸亀市史刊行頒布会 編『丸亀市史』(1953年) NCID BN11037529