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城戸豊吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城戸豊吉
きど とよきち
生年月日 1891年11月30日
出生地 日本の旗愛媛県伊予郡北山崎村(現愛媛県伊予市)
没年月日 (1965-07-14) 1965年7月14日(73歳没)
出身校 弓削商船学校(現弓削商船高等専門学校)
前職 全国削節工業組合連合会理事長
称号 黄綬褒章

当選回数 1回
在任期間 1955年2月3日 - 1959年2月2日

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城戸 豊吉(きど とよきち、1891年明治24年)11月30日[1] - 1965年昭和40年)7月14日[1])は、日本実業家政治家。城戸商店(現ヤマキ)創業者で、同社社長や、初代伊予市長、全国削節工業組合連合会理事長を務めた。

人物・経歴

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愛媛県伊予郡北山崎村(現伊予市)出身。弓削商船学校(現弓削商船高等専門学校)中退。1908年城戸豊吉商店を創業し、削り節の製造・販売で成功した。1931年東京支店を設立し、長男城戸稔を支店長に任命。1940年全国削節工業組合連合会理事長。1950年城戸商店(現ヤマキ)設立。

郡中町長を経て、1955年初代伊予市長。1958年黄綬褒章受章。1965年に死去し市葬が行われた。

後任の社長には孫の城戸恒が就いた。第3代社長の城戸善浩は曾孫[1][2]

脚注

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先代
(初代)
城戸商店(現ヤマキ)社長
1950年 - 1965年
次代
城戸恒