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城前寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城前寺

本堂
所在地 神奈川県小田原市曽我谷津592
位置 北緯35度18分18.6秒 東経139度11分15.8秒 / 北緯35.305167度 東経139.187722度 / 35.305167; 139.187722 
山号 稲荷山
宗派 浄土宗
別称 稲荷山祐信院
法人番号 7021005005645 ウィキデータを編集
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城前寺(じょうぜんじ)は、神奈川県小田原市曽我谷津にある浄土宗寺院

歴史

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曽我兄弟・曽我太郎祐信・満江御前の墓
「お花畑」にある稲荷・熊野社。曽我祐信が勧請したと伝わる[1]

寺伝によると、曽我祐信が自身の館の後方に「稲荷山祐信院」を建立したことが由来であり、曾我兄弟の仇討ち後に宇佐美禅師が兄弟の菩提を弔うため祐信院を引き、現在の城前寺の地に庵を結んだという[2]

宇佐美禅師は真名本『曽我物語』(巻十)に確認される人物で、曽我兄弟の仇討ち後に兄弟が没した地である富士野を訪ね葬送し、その遺骨を曽我の里に持ち帰ったと記される人物である[3][4]

城前寺の場所は曽我氏館跡伝承地(曽我祐信屋敷跡)の前に位置し、周辺には曽我祐信に関する伝承地が点在する。境内には曽我兄弟に関する遺物等が多く残り、曽我兄弟・曽我太郎祐信・満江御前の墓や「忍石」などが残る。

遺物は城前寺に移された例も多く、曽我兄弟の墓には「お花畑」[注釈 1][5]から発掘された骨壷が移され[2]、忍石は本来一対(姥石・姫石)であった石の一方が移されたものである。もう一方は本来の位置である大山通(中村通)沿いに所在する[6]。また同地が所在する曽我谷津からはしばしば五輪塔が発掘され、城前寺に運ばれたという。

脚注

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注釈

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  1. ^ 城前寺の反対側に位置し、曽我兄弟の塚との伝承がある

出典

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  1. ^ 小田原市(1998) p.349
  2. ^ a b 小田原市(1998) p.355
  3. ^ 東洋文庫(1988) pp.246-247
  4. ^ 大川信子、「真名本『曽我物語』における久能と富士浅間大菩薩-梶原氏との関わりを通して-」『国文学年次別論文集 中世2 平成8年』、1998
  5. ^ 小田原市(1998) p.350
  6. ^ 小田原市(1998) p.353

参考文献

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  • 小田原市『小田原市史通史編 原始・古代・中世』1998年。 
  • 笹川祥生ほか『真名本曽我物語2』平凡社〈東洋文庫 485〉、1988年。ISBN 978-4-582-80486-7 

関連項目

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