垢嘗
垢嘗(あかなめ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』などにある日本の妖怪[1]。風呂桶や風呂にたまった垢を嘗め喰うとされる。
垢舐(あかねぶり)とも呼ばれる。
語釈
[編集]垢嘗とは読んで字のごとく「垢」をなめる妖怪だが、「垢」には、人間の表皮から剥げ落ちる皮脂や角質などの成分もあり、その他にもカビや水垢が風呂場に蓄積したものも含めて、垢嘗の養分と考えられる[2]。
また、「垢」には心の穢れや煩悩、余分なものという意味もあることから、風呂を清潔にすることをし忘れるほど、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれているとの説もある[2][3]。
江戸時代
[編集]江戸時代の妖怪画の画図では、足に鉤爪を持つざんぎり頭の童子が、風呂場のそばで長い舌を出した姿で描かれている[7]。解説文が一切ないため、どのような妖怪を意図して描かれたものかは推測の域を出ないが、江戸時代の怪談本『古今百物語評判』には「垢ねぶり」という妖怪の記述があり、垢嘗はこの垢ねぶりを描いたものと推測されている[1]。
『古今百物語評判』によれば、垢ねぶりとは古い風呂屋に棲む化物であり、荒れた屋敷などに潜んでいるといわれる。垢ねぶりは、塵や垢の「気」が集まった場所から、その気(陰気)から「化生」(自然発生)するのだという。例えるならば、水のなかで生まれた魚が水を口にし、シラミが汚れのなかに湧いてその汚れを食べるように、垢ねぶりもまた、その生じた場所の産物である垢を食らうのだと説かれている[注 2][11][6]。
『日東本草図纂』では、嬰児でなく美人の女性の姿で現れることがあり、血肉を舐め取られて骸ばかりにされるという恐ろしいバージョンも伝えている[6]。その境遇に遭い骨ばかりにされて死んだという、播州の温泉に通っていた男の挿話がある[注 3][12]。
昭和・平成以降
[編集]昭和・平成以降の妖怪関連の書籍では、垢嘗もこの垢ねぶりと同様に解釈されている。その解釈によれば、垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり[13]、人が寝静まった夜に侵入して[13]、風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗めるとされる[14][15]。
垢を嘗める以外には何もしないが、当時の人々は妖怪が現れるだけでも気持ち悪く感じるので、垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていたという[14][16]。垢嘗の正体を見た者はいないが、名前の「垢(あか)」からの連想で赤い顔[14]、または全身が赤いともいわれる[15]。
注釈
[編集]- ^ 原著では図入りの見開きに「垢舐」に「アカ子ブリ」と振り仮名される。日本髪の老女が桶型の湯船に浸かっており、その傍らで白色の妖怪が四つん這いになって舌をだらりと垂下げている構図である。
- ^ 『古今百物語評判』原文は"たとへば魚の水より生じて水をはみ"云々とあるが、気から「化生」して生じるのは生類の生じる「四生」のひとつであり、妖怪などの"稀少"なケースであるので[6]、魚があてはまる(「化生」したと考えられていた)わけではなかろう。
- ^ 類話が『諸国百物語』にあり、摂州尼崎の伝左衛門という男が女のばけものに同じ目にあわされる。現今は同じ兵庫県ではあるが、こちらは摂州有馬の温泉なので国名が違っている[12]。
出典
[編集]- 脚注
- ^ a b 村上 2000, p. 7
- ^ a b c d 宮本幸枝「第1章 国民的有名妖怪 §垢嘗」『日本の妖怪FILE』学研、2013年、16–17頁。ISBN 978-4-054056-63-3。
- ^ 宮本幸枝、熊谷あづさ『日本の妖怪の謎と不思議』学習研究社、2007年、25頁。ISBN 978-4-056-04760-8。
- ^ a b 神田玄紀 著「第六 垢ねぶり」、堤倫 編『日東本草図纂』《巻之十二》上田寛満(画) 。
- ^ Foster, Michael Dylan (2015). The Book of Yokai: Mysterious Creatures of Japanese Folklore. University of California Press. p. 232 and Fig. 28. ISBN 978-0-520-95912-5
- ^ a b c d e f 木場 2018, p. 32.
- ^ 草野巧『幻想動物事典』新紀元社、1997年、7頁。ISBN 978-4-88317-283-2。
- ^ 山岡元隣「第六 垢ねぶりの事」『古今百物語評判』 2巻、寺町松原下ル町(京) : 梅村三郎兵衛 、1755年(原著1686年)、16裏-17表頁 。「一人いわく、「垢ねぶりというものは、ふるき風呂屋にすむばけもののよし申せり。もっとも、あれたる屋敷などにはあるべく聞こえ候えども、その名の心得がたくはべる」といえば、先生いえらく、「この名、もつともなる儀なるべし」
- ^ 物集高見「垢ねぶり」『廣文庫』 15巻、廣文庫刋行會、1922年、932–933頁 。
- ^ 山岡元隣 著「古今百物語評判」、高田衛編・校中 編『江戸怪談集』 下、岩波書店〈岩波文庫〉、1989年(原著1686年)、344-345頁。ISBN 978-4-00-302573-4。
- ^ 山岡元隣・元恕編『古今百物語評判』(1686年刊)巻之二第六「垢ねぶりの事」[8][9][10]。
- ^ a b 木場 2018, p. 36.
- ^ a b 少年社、中村友紀夫、武田えり子 編『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説』学習研究社〈New sight mook〉、1999年、114頁。ISBN 978-4-05-602048-9。
- ^ a b c 岩井 1986, p. 139; 岩井 2000, p. 42
- ^ a b 多田克己『幻想世界の住人たち』新紀元社〈Truth In Fantasy 9〉、1990年、270頁。ISBN 978-4-915146-44-2。
- ^ 水木しげる『妖鬼化』Softgarage、2004年、6頁。ISBN 978-4-86133-005-6。
- 参照文献
- 岩井宏實『暮しの中の妖怪たち』河出書房新社〈河出文庫〉、2000年(原著1986年)。ISBN 978-4-309-47396-3。
- 岩井宏實『屋敷の妖怪』河出書房新社〈日本の妖怪百科 4〉、2000年。ISBN 978-4-309-61381-9 。
- 木場貴俊「「所化」と「理外之理」 : 『日東本草図纂』巻之十二をめぐって」『雅俗』第17巻、雅俗の会、2018年7月、27-40頁、CRID 1390856273825800576、doi:10.15017/4742068、hdl:2324/4742068、ISSN 1343-7577、NAID 40021640792。
- 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年。ISBN 978-4-620-31428-0。