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地頭薗雅弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地頭薗 雅弥
名前
カタカナ ジトウゾノ マサヤ
ラテン文字 JITOZONO Masaya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-09-06) 1989年9月6日(35歳)
出身地 千葉県船橋市[1]
身長 175cm[2]
体重 72kg[2]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 SETAGAYA UNITED
ポジション MF
利き足 左足[1]
ユース
2005-2007 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉U-18
2008-2011 日本の旗 青山学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2015 日本の旗 SC相模原 20 (2)
2015 日本の旗 YOKOHAMA FIFTY CLUB
2016 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S 22 (3)
2017 マレーシアの旗 サバFA 11 (2)
2017-2018 タイ王国の旗 ノーンブワ・ピッチャヤ 36 (4)
2019 タイ王国の旗 ラムパーンFC 0 (0)
2019 タイ王国の旗 カスタムズ・ユナイテッド 21 (3)
2020 日本の旗 FIFTY CLUB
2021 日本の旗 SHIBUYA CITY FC
2022- 日本の旗 SETAGAYA UNITED
通算 110 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

地頭薗 雅弥(じとうぞの まさや、1989年9月6日 - )は、千葉県船橋市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴

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ジェフユナイテッド市原・千葉のアカデミー出身。青山学院大学卒業後の2012年5月、当時関東サッカーリーグ1部であったSC相模原にアマチュア契約で加入[3]。2015年4月にYOKOHAMA FIFTY CLUB(神奈川県リーグ)へ移籍した[4]。3年間プレーして2015年に退団。

2016年アルビレックス新潟シンガポールと契約しプロ選手となった[2]

2017年、マレーシアサバFAに移籍[5]

2017年6月、タイ・リーグ2ノーンブワ・ピッチャヤFCに移籍。しかし、2018年末までの契約を結んでいたものの、2018年シーズン開幕前に突如契約解除を言い渡される。次のクラブ探しにあたってクラウドファンディングで活動費用を募った[6]

11ヶ月の無所属期間を経て、2019年1月にラムパーンFCと契約[7]

2019年7月、MOFカスタムズ・ユナイテッドFCに移籍[8]

2020年3月、古巣のFIFTY CLUBに復帰[9]

2021年、選手引退を考えていたがSHIBUYA CITY FCからオファーが届き[10]、2月9日に加入が発表[11]。会社員として働きながらサッカー選手を続けることになった[10]

2021年11月24日、SHIBUYA CITY FCを退団[12]

2022年1月1日、東京都世田谷区を本拠とするサッカークラブ「SETAGAYA UNITED」創設を発表[10]。同クラブは米澤淳司が運営に参画し、石塚啓次がクリエティブディレクターを務める。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 相模原 25 関東1部 8 2 - - 8 2
2013 JFL 5 0 - - 5 0
2014 J3 7 0 - - 7 0
2015 0 0 - - 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2016 新潟S 8 Sリーグ 22 3 3 1 4 1 29 5
マレーシア リーグ戦 マレーシア杯FA杯 期間通算
2017 サバ 1部
通算 日本 J3 7 0 - - 7 0
日本 JFL 5 0 - - 5 0
日本 関東1部 8 2 - - 8 2
シンガポール Sリーグ 22 3 3 1 4 1 29 5
マレーシア 1部
総通算 42 5 3 1 4 1 49 7

エピソード

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青山学院大学在学時の2011年に、ある代理人からブリーラム・ユナイテッドFCのトライアウトに誘われてバンコク近郊で練習に参加したが、本拠地でのトライアウトには参加させてもらえず練習場に放置された上に代理人とも連絡が取れなくなったことがあった。その代理人はカレン・ロバート下地奨も騙していた人物とのことである[13]

脚注

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  1. ^ a b c d e 選手・スタッフ』(プレスリリース)アルビレックス新潟シンガポールhttp://www.albirex.com.sg/ja/archives/players/mf-8-masaya-jitozono/2016年2月14日閲覧 
  2. ^ a b c d e f 地頭薗雅弥選手 加入のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟シンガポール、2016年1月20日http://www.albirex.com.sg/ja/archives/17622/2016年2月14日閲覧 
  3. ^ はじめまして。 SC相模原 オフィシャルブログ、2012年5月15日
  4. ^ 地頭薗 雅弥選手 YOKOHAMA FIFTY CLUBへ移籍のお知らせ SC相模原 オフィシャルブログ、2015年4月6日
  5. ^ 地頭薗雅弥選手 サバFAへ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟シンガポール、2016年12月10日http://www.albirex.com.sg/ja/archives/216552016年12月14日閲覧 
  6. ^ タカ大丸 (2018年7月3日). “サッカー人生を諦めず、クラウドファンディングで復活を目指す男、地頭薗雅弥”. ハーバー・ビジネス・オンライン. 2020年2月12日閲覧。
  7. ^ 地頭薗雅弥 (2019年1月18日). “契約”. Readyfor. 2020年2月12日閲覧。
  8. ^ 地頭薗雅弥 (2019年7月22日). “移籍”. Readyfor. 2020年2月12日閲覧。
  9. ^ 新加入選手のお知らせ!”. FIFTY CLUB (2020年3月23日). 2021年5月29日閲覧。
  10. ^ a b c 地頭薗雅弥 (2022年1月1日). “SETAGAYA UNITED 始動”. 2022年1月30日閲覧。
  11. ^ SHIBUYA CITY FCに複数の海外クラブでのプレー経験を持つ地頭薗雅弥選手が加入!』(プレスリリース)株式会社PLAYNEW、2021年2月9日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000056.000041717.html2021年5月29日閲覧 
  12. ^ 地頭薗雅弥 選手 退団のお知らせ』(プレスリリース)SHIBUYA CITY FC、2021年11月24日https://www.scfc.jp/news/HgaUIVICrXbO6hZo6hLJR2021年11月24日閲覧 
  13. ^ タカ大丸 (2018年7月5日). “クラウドファンディングで復活を期す地頭薗雅弥、カレン・ロバートと同じ代理人に騙されていた”. ハーバー・ビジネス・オンライン. 2020年2月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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