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土居明夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土居 明夫
1952年
生誕 1896年6月30日
日本の旗 日本 高知県
死没 (1976-05-10) 1976年5月10日(79歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1917 - 1945
最終階級 陸軍中将
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土居 明夫(どい あきお、1896年明治29年)6月30日 - 1976年昭和51年)5月10日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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土佐郷士警察署長・土居正明の二男として生まれる。海南中学校大阪陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第11連隊付となる。1920年(大正9年)9月から翌年11月まで、シベリア出兵に出征。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を優等で卒業し騎兵第11連隊中隊長に就任。

1928年(昭和3年)12月、陸軍騎兵学校教官に就任し、参謀本部付を経て、1932年(昭和7年)1月から1934年(昭和9年)9月までポーランドソ連に駐在した。

1932年(昭和7年)8月、騎兵少佐に昇進。1934年(昭和9年)9月、騎兵学校教官となり、参謀本部員(ロシア課)などを歴任し、1936年(昭和11年)8月、騎兵中佐に進級。1937年(昭和12年)11月、兼大本営第5課長となり、ソ連大使館付武官に転じ、1938年(昭和13年)7月、騎兵大佐に昇進した。

1940年(昭和15年)3月、参謀本部ロシア課長に発令され、参謀本部作戦課長を経て、第3軍参謀副長に転じ満州に赴任。1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)7月、第3軍参謀長に就任し、関東軍情報部長を経て、第13軍参謀長に異動。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み上海で終戦を迎えた。

1946年(昭和21年)7月、南京政府国防部顧問となる。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。同年10月に帰国。1951年(昭和26年)3月から1976年(昭和51年)3月まで、大陸問題研究所長に在任。

親族

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著書

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  • ロシアの解剖 反共産主義の方向を歩む 日本協会出版部, 1940.
  • 米ソ戦と日本 黄土社書店, 1952.
  • 新軍備との対決 新しい日本の国防 興洋社, 1953.
  • ソ連の戦術 ソ軍野外教令 大蔵出版, 1953.
  • 朝鮮と中共 アイク政策の検討 福村書店, 1953.
  • 差し向かいの毛沢東 中共首脳部の肚を叩く 新紀元社, 1957.
  • 変りゆくソ連 日本再建協会, 1960.
  • 共産国を揺がした十冊の本 今立鉄雄共編. 今日の問題社, 1960.
  • フルシチョフと毛沢東 時事通信社, 1961. 時事新書
  • ソ連の変化を語る 山田久就対談. 国際善隣倶楽部, 1966.11. 善隣シリーズ
  • 新戦略と日本 時事通信社, 1968.

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 土居明夫伝刊行会編『一軍人の憂国の生涯 陸軍中将土居明夫伝』原書房、1980年。