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圓徳寺 (大阪市生野区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
圓徳寺えんとくじ
所在地 大阪府大阪市生野区巽中4-8-26
位置 北緯34度38分39.7秒 東経135度33分2.7秒 / 北緯34.644361度 東経135.550750度 / 34.644361; 135.550750座標: 北緯34度38分39.7秒 東経135度33分2.7秒 / 北緯34.644361度 東経135.550750度 / 34.644361; 135.550750
山号 樹法山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 長享2年(1488年
開基 蓮如
法人番号 5120005000714 ウィキデータを編集
圓徳寺の位置(大阪府内)
圓徳寺
圓徳寺
圓徳寺 (大阪府)
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圓徳寺(えんとくじ)は、大阪府大阪市生野区にある真宗大谷派寺院

歴史

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長享2年(1488年)、郷士・上場(うえば)又三郎正欽(またさぶろうまさのり)が、蓮如を招き、自邸を寺に改めて創建された。

正欽は当時、大地村(現在の大阪市生野区巽中3丁目、4丁目付近)に居住していた地侍で、室町幕府第9代将軍=足利義尚の配下に属し、江州の坂本に於いて佐々木高頼と戦い、その後、世の中の無常を感じ、本願寺第8世の蓮如上人に帰依して僧侶となり、名を法欽と給わった。そして、自宅を寺としたのが始まりである。

室町時代足利義尚ゆかりの寺。

元亀元年(1570年)、本願寺十一世・顕如上人の時に、石山合戦が勃発し、当時の圓徳寺第4代目住職・了法が門徒を引き連れ加勢した。

この時、了法の忠勤が抜群だった為、顕如上人より『顕』の一字を給わり、了法を顕了と改めた。

以後、圓徳寺は代々の住職が『顕』の字を名前に用いる事が許された。

昭和63年(1988年)に圓徳寺開創500年を迎えたため、前年より本堂の大改修が行われた。

また、平成10年(1998年)には、山門(大門)や釣鐘堂の大改修が行われた。

令和元年(2019年)10月20日、第19代目に住職が継職された。

第18代目の住職は、文学博士上場顕雄(うえば あきお / けんゆう)氏。

伽藍

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太鼓堂、釣鐘堂、本堂など。

文化財

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◯井原西鶴が著した「椀久一世の物語」に圓徳寺が登場する。

今も圓徳寺には、椀屋久右衛門寄進の朱塗りの椀家具セット・十人前が多くの寺宝とともに所蔵されている。

◯六字名号(南無阿弥陀仏)

◯親鸞聖人絵像

◯聖徳太子絵像

以下、省略。

◯圓徳寺の銀杏の木・楠の木は、大阪市の保存樹に指定されている。

出典

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