唐橋重政
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唐橋 重政(からはし しげまさ、1894年(明治27年)12月18日[1] - 1976年(昭和51年)1月18日[2])は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡山都町長。俳号・藻人[3]。
経歴
[編集]福島県[2]耶麻郡朝倉村[4](山都町を経て現:喜多方市)で、林業家・政治家、唐橋左源次の二男として生まれる[3][5]。1905年(明治38年)家督を相続[5]。1912年(大正元年)福島県立蚕業学校(現:福島県立福島明成高等学校)を卒業した[2][3][4][5][6]。
農業を営む[2][3]。日本正準製糸常務、福島県養蚕業組合連合会副会長、全国養蚕業組合連合会議員などを務めた[4][5]。
政界では、組合村長、耶麻郡町村長会長、福島県町村会長、福島県会議員、同参事会員、大政翼賛会福島県支部常務委員などを務めた[2][3][4][6]。1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け福島県第2区から出馬して当選し[4]、戦後、日本自由党に所属して衆議院議員に1期在任した[2]。この間、農林省委員、翼政会政調農林・内務兼務委員などを務めた[2][4]。その後、公職追放となった[7]。
追放解除後、福島県第2区から第25回、第26回総選挙に立候補したがいずれも落選した[8]。その後、山都町長などを務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、19頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』188頁。
- ^ a b c d e 『福島県の政治家』4頁。
- ^ a b c d e f 『翼賛議員銘鑑』117頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』カ155頁。
- ^ a b 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福島9頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿217頁。公職追放の該当事項は「翼賛郡支兼推薦議員」。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』47頁。
参考文献
[編集]- 太田源次郎『福島県の政治家 : 県会議員・衆議院議員・貴族院議員』帝都日日新聞福島支局、1936年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。