和田信盛
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長5年(1600年) |
主君 | 六角氏(六角義郷?)、織田秀信 |
氏族 | 近江和田氏 |
父母 | 和田秀純 |
兄弟 | 信盛、正盛 |
子 | 正盛 |
和田 信盛(わだ のぶもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。六角氏、織田氏の家臣。
略歴
[編集]近江和田氏は清和源氏・源経基の子・満政の末裔。近江国甲賀郡和田谷を領してきた。室町時代後期になると、六角高頼の庶子・和田高盛(信盛の祖父)が近江和田氏に入ったため、六角氏の一門となった。和田惟政はこの和田氏の出身ともいう。
近江雄琴城主・和田秀純の子として誕生。始め六角氏(六角義秀か六角義郷)に仕え、のち織田秀信の下に転仕する。秀信に仕えた時期は分かっていない。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い前哨戦の岐阜城攻防戦で戦死し、嗣子がなかったため家督は弟・正盛が継いだ。
多くの和田一族が秀信に仕えており、岐阜開城後秀信の母と室、娘を大坂の屋敷から救出した和田孫太夫(高盛の子)は信盛の父ないしおじにあたる。