コンテンツにスキップ

呂好問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

呂 好問(りょ こうもん、治平元年(1064年)- 紹興元年(1131年))は、北宋末期から南宋初期の官人。舜徒呂希哲の子。呂本中の父。呂祖謙呂祖倹の曾祖父にあたる。

経歴

[編集]

父の恩蔭によって入官したが、祖父の呂公著以来の旧法党であったため、その盛衰とともに浮き沈みした。

欽宗の時代に御史中丞から吏部侍郎に進む。靖康の変の時、軍に連行されるのを免れて張邦昌の楚に仕えたが、張邦昌に対して趙構(後の南宋高宗)に帝位を返上するように勧めた。その功績によって高宗の即位後に尚書右丞(副宰相格)に進み、東莱郡侯に封じられた。

後に靖康の変当時の行動を李綱に糾弾されて失脚し、紹興元年(1131年)に失意のうちに68歳で没した。

参考文献

[編集]
  • 福田節生「呂好問」『アジア歴史事典 9』 平凡社、1984年
  • 衣川強「宋代の名族」『宋代官僚社会史研究』汲古書院、2006年