コンテンツにスキップ

吹田徳雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吹田 徳雄(すいた とくお、1911年12月20日 - 1981年12月18日)は日本の工学者大阪大学名誉教授原子力安全委員会初代委員長。理学博士(大阪帝国大学、1947年)。徳島県海部郡美波町(旧日和佐町)出身。

経歴

[編集]

大阪市立都島工業学校[1][2]神戸高等工業学校電気科を経て[1][2]1937年に大阪帝国大学工学部電気工学科卒業[3]。学生時代はテニス部のキャプテンであった[2]1949年、大阪大学工学部電気工学科の教授(電気材料学講座)となる[3]1957年、原子核工学専攻原子炉工学講座教授(電気工学兼務)[3]1963年には京都大学教授となり、1969年から1970年まで大阪大学工学部長事務取扱を勤めた。

1975年に大阪大学を退官し[3]近畿大学教授となる。1978年には原子力安全委員会の初代委員長となった[4][5]1981年12月18日死去。従三位勲二等旭日重光章が追叙された[6]

著書

[編集]
  • 高橋秀俊、吹田徳雄共 編『エネルギー変換論』ラテイス、1964年7月。 
  • 『100万人の原子力 基礎編』吹田徳雄・三島良績監修、アグネ〈原子力シリーズ〉、1971年8月。 

脚注 

[編集]
  1. ^ a b 神戸高工新聞(24)入学者氏名欄より”. 神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ (1931年4月10日). 2024年3月20日閲覧。
  2. ^ a b c 「故吹田徳雄先生を偲んで」『日本原子力学会誌』第24巻第2号。 p.89
  3. ^ a b c d 吹田徳雄先生を悼む”. 日本物理学会誌 37 巻 4 号 p. 340-341 (1982年4月5日). 2024年3月21日閲覧。
  4. ^ 原子力安全委員会[編]『原子力安全白書<平成10年版>』大蔵省印刷局、1999年。 第1編原子力安全-この20年の歩みとこれから-より
  5. ^ 原子力委員会月報10月号(第23巻第10号)”. 科学技術庁原子力局 (1978年10月). 2024年3月閲覧。
  6. ^ 会報"澪電"第3号” (PDF). 大阪大学工学部電気系同窓会 澪電会 (1982年5月). 2024年3月21日閲覧。
公職
先代
(創設)
日本の旗 内閣府原子力安全委員会
委員長

初代:1978年 - 1981年
次代
御園生圭輔