吉野栄一郎
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吉野 栄一郎 | |
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生誕 |
1887年3月4日 日本 大阪府 |
死没 | 1960年5月31日(73歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1905年 - 1937年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | 第二山水中学校校長 |
吉野 栄一郎(よしの えいいちろう、1887年(明治20年)3月4日[1] - 1960年(昭和35年)5月31日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]大阪府出身[1]。陸軍士官学校第18期卒業[1]。1923年(大正12年)3月、陸軍歩兵少佐に進級し[2]、同年9月時点で歩兵第30連隊副官の任にあった[2]。1926年(大正15年)3月に歩兵第1連隊大隊長に就任し[3]、1927年(昭和2年)7月、陸軍歩兵中佐進級と同時に歩兵第49連隊附となり、横浜工業高等学校に配属された[4]。1929年(昭和4年)7月に横浜工業高等学校附設工業教員養成所服務を兼ね[5]、1931年(昭和6年)8月に近衛歩兵第3連隊附に移った[6]。
1932年(昭和7年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に仙台連隊区司令官に着任し[7]、1934年(昭和9年)3月に歩兵第74連隊長(第19師団・歩兵第37旅団[8][9])に転じた[7]。1936年(昭和11年)3月に第4師団司令部附となり[1]、大阪帝国大学に配属された[1]。1937年(昭和12年)3月7日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][7]、8月22日に予備役に編入された[1]。
予備役編入後は第二山水中学校長に就任し[10]、1945年(昭和20年)2月22日に召集され、東海軍管区兵務部長に着任した[11]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[12]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 797頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調209頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調166頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調160頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調136頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調97頁
- ^ a b c 外山 1981, 236頁.
- ^ 外山・森松 1987, 400頁.
- ^ 外山・森松 1987, 401頁.
- ^ 『偕行』第806号、偕行社編纂部、1941年11月、158頁。
- ^ 「第39号 昭和20年2月22日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934200
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。