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吉良成高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
吉良 成高
時代 室町時代
生誕 不詳
死没 不詳
幕府 室町幕府
主君 足利成氏上杉持朝
氏族 吉良氏
父母 吉良政忠
上杉持朝の娘
吉良頼康
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吉良 成高(きら しげたか、生没年不詳)は、室町時代武将。武蔵吉良家当主。

生涯

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宝徳3年(1454年)、鎌倉公方足利成氏が、対立していた関東管領上杉憲忠を謀殺して享徳の乱が勃発すると、関東諸将は、鎌倉公方派か関東管領派に分裂して抗争を繰り返すことになる。成高は、上杉持朝の娘を妻に娶っていたことから関東管領派に属した。やがて、文明8年(1476年)に上杉家の有力家臣・長尾景春が謀反を起こすと、管領派だった関東諸将も景春に呼して反旗を翻した。扇谷上杉家家宰太田道灌が、武蔵の国人豊島氏討伐のために出陣すると、成高は道灌に代わって江戸城代を務め、数度の合戦を下知して勝利を挙げた[1]

参考文献

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  1. ^ 『室町時代人物事典』 水野大樹薯