コンテンツにスキップ

吉沢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉沢一郎(よしざわ いちろう、1903年11月6日[1]1998年1月22日[2][3])は、日本登山家一橋大学山岳部出身。1977年、吉沢が総指揮を取った日本登山隊はK2登頂を試みて成功し、これが世界で2番目のK2登頂成功例となった。

人物・生涯

[編集]

麹町小学校卒業後、旧・明治中学校(現明治大学付属明治高等学校・中学校)中退を経て、1928年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。電通映画社専務取締役。

元社団法人日本山岳会副会長。望月達夫深田久弥諏訪多栄蔵らとともに日本のヒマラヤ研究の第一人者であった。英国山岳会会員でもある[4]。1980年には公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに起用された[5]

著書

[編集]

単著

[編集]
  • 『登高記』古今書院 1930年。全国書誌番号:47011117NCID BN12196288
  • 『北の山南の山 研究・随想・紀行』三省堂 1942年。NCID BN12198385
  • 『山へ - わが登高記』文藝春秋、1980年。全国書誌番号:80038715NCID BN06612344

翻訳

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.648
  2. ^ 吉沢, 一郎, 1903-1998 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
  3. ^ 日外アソシエーツ『人物物故大年表 日本人編〈2〉1946~2004』2006年、ISBN 4816919597NCID BA74628594
  4. ^ 横山厚夫さんのエッセイ
  5. ^ 自ら老人に-私のK2 (吉沢一郎)|広告作品アーカイブ|ACジャパン
  6. ^ NCID BN08863378
  7. ^ CiNii Books 著者 - Unsworth, Walt
  8. ^ ウイリアム・マーティン コンウェイ』 - コトバンク
  9. ^ CiNii Books 著者 - Morgan, Gerald
  10. ^ ネイ・イライアス英語版