コンテンツにスキップ

吉川雅夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2019年4月10日)は、日本のマリンバ奏者。愛知県名古屋市生まれ。20代に東京に活動拠点を変更して以来、東京を活動の中心地とした。2019年4月10日 急性心筋梗塞のため死去。

略歴

[編集]

音楽家であった父から木琴の指導を5歳から受け、父のアコーディオン伴奏で日本各地で演奏をする。天才木琴少年としてラジオやテレビ放送にも出演していた。

高校生の時に平岡養一の演奏を聴き、プロになることを決意[1]武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。在学中よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。スタジオ・ミュージシャン歴60年間で録音総数は3万曲に上る[2]

見砂直照(東京キューバン・ボーイズ)のマリンバ奏者、越路吹雪の日生劇場でのロングリサイタルの専属バンドメンバーを務めた。

卜部茂子・野口道子と共に[東京マリンバトリオ]を結成 ソロコンサートに加えてトリオで日本各地にて演奏。2003年にはアメリカ、サンディエゴに招聘され演奏。

常に「観客の親しみやすい楽曲」を信条に、70年の長きにわたり日本全国で演奏活動。クラシック、ラテン、ラグタイム・ミュージック等幅広いレパートリーを得意とした。

2019年4月10日 急性心筋梗塞のため死去。

ディスコグラフィー

[編集]
  • 「シャレード」東京マリンバトリオ 1993年(ビクター)
  • 「THE ENKA」東京マリンバトリオ 1995年(コロンビア)
  • 「パリのアメリカ人」独奏と2重奏 2015年

脚注

[編集]
  1. ^ 吉川雅夫 (2015年9月). “吉川雅夫 マリンバと共に80年”. CD「パリのアメリカ人」ブックレット: p3. 
  2. ^ 吉川雅夫 (2015年9月). CD「パリのアメリカ人」ブックレット: p1.